メリークリスマス。

前回の更新から、2カ月以上が経った。

その間に、いろいろあった。

 

介護の仕事を辞めたこと。

中国やベトナムからの留学生に英語を教える仕事を始めたこと。

それから、パートナーの母親が倒れたこと。

 

こんなに一気に起こらなくても、というぐらい、

この2カ月ほどのあいだで、生活が一変している。

週の半分は自分のアパートへ帰り、

あとの半分はキャリーバッグと小さめのボストンバッグを抱えて、

電車で一時間ほどのところにあるパートナーの家へ行く、という生活だ。

職場にガラガラとキャリーバッグを引っ張って行くので、

学生から、「旅人ですか?」と尋ねられる。

「そうだよ」と答えておく。 

 

先週、非常勤講師の年内の授業が終わったので、

自分のアパートの大掃除は最低限済ませ、

昨日からはまたパートナーの家にきている。

年明けまでは仕事がないので、

少しのあいだ、旅人業は休業できそうだ。

 

パートナーの母親が倒れてしばらくは、

なんやかんやと落ち着かなかったが、

緊急入院した病院から、

リハビリの病院へ転院したあとは少し落ち着き、

昨日はちょっとクリスマスらしいことでもしようか、

と、生協でチキンを買って、シチューをつくって、

とびきりおいしいフルーツを売っている果物屋の、

これまた、とびきりおいしいケーキを突っついて食べた。

 

 

人間はけっこう図太いもので、

非日常的な事件や事故があっても、

その非日常性を自分たちの日常の中へと呑みこんで、

日常をリニューアルさせながら、やっていけるものだな、

などと思っている。

今なら、矢でも鉄砲でも呑みこめるかも。

Love Happeningという映画を観た。

Love Happeningという映画を観た。


妻を不慮の事故で亡くした男が、その妻の死と向き合い、悲しみを乗り越えるまでを綴った本がベストセラーとなる。男は自己啓発セミナーやワークショップに引っ張りだこで、アメリカ中を飛び回るちょっとした有名人だ。そんな男が、講演で滞在していたホテルで、花屋の女と出会うところから物語は始まる。実は男は、最愛の人を失った人々を相手に講演をしながら、彼自身の傷は癒えておらず、失った妻の父(彼にとっては義父)とのあいだにも確執を抱えている。また女は、ずっと夢であった花屋を経営し、仕事では順風満帆だけれど、好きになるのはダメ男ばかりで、また恋に破れたところだった。

物語は、二人の出会いを軸に、だんだんとお互いが惹かれあうラブ・ロマンスなのだけど、この映画には、「男がついてきたウソ」が次第に明らかになってくる、という、謎解きの要素もある。

 

 

男は妻の死に関して、或るウソを、自分自身に対してついてしまう。
あまりに重い喪失の悲しみと罪の意識が、彼に「ウソの物語」を採用させた。起きたことをありのままに受けとめることができず、その後の自分を生かすために、彼が採用した「ウソの物語」がベストセラーとなり、親しい人を失った悲しみに向き合おうとする人たちの「救い」となることによって、彼自身の苦悩は、逆に深くなる。自分自身は、実は、その死と向き合っていない、という意識が、しだいしだいに大きくなっていくのだ。

 

どれだけ、周りをうまく騙せても、自分自身だけはほんとうには騙すことはできない。と、いうか、周りも、ほんとうには騙せてはいないのだ。彼のウソにつきあって、彼の身を心配してそばを離れない友人、自分もダメ男との恋に破れてばかりでボロボロだけど、あなたもボロボロね、と、「売れっ子のベストセラー作家」という彼のかぶった皮ではなく、ほんとうの姿を見つめる女。人との交わりのなかで、男は、自分自身と向き合う勇気を得ていき、聴衆の前で真実を明らかにする。

 

とりかえしのつかないこと、というのが、人生にはある。でも、そのとりかえしのつかない、ということに対して、とりかえしがつかないからという理由で、ウソの物語でくるんでしまうことは、人を二度殺すようなものだ。事実を事実として見つめきるところからしか、未来は始まらない。

 

 

アイコン変えました。

気分転換に、アイコンとタイトルを変えました。
アイコンの写真は、先週、一年ぶりに会った友人がくれたキーホルダーです。
「なんでロニー?」と疑問がなくはないのですが、Dr.コパによると2015年のラッキーカラーは緑色だそうなので、緑色のものにしてみました(ウソです、ただの偶然です)。

 

・・・・・

ここからは少し個人的なことの記録です。

 

あと2日で9月も終わりです。蒸し蒸しの夏が終わり、過ごしやすくなったここのところは、自分と向き合う日々を送っていました。ひとつには、ここ10年間、目標にしてきたことを、あきらめました。あきらめる、というと、どうしてもマイナスイメージがついてきてしまうのですが、「あきらめる」という言葉には、「あきらかに見る」という意味がある、ということを、人に教えてもらったことがあります。ものごとの、ありのままの姿を認識する、ということが、「あきらめる」ということの意味だと。

でも、わたしは、そうはいっても、やはり「あきらめる」ということへのマイナスイメージを、払拭できないでいました。「あきらめてはいけない」という心の声ばかりが大きくなって、今向かっている仕事や勉強を通じて、自分がこの先どうなっていたいのか、ということのヴィジョンもないままに、ただ、「あきらめないために、あきらめない」という、螺旋に落ち込んでいました。

 

でも、もがいても、もがいても、前に進んでいるような感じがしない、或いは、シャカリキになっていることを隠れ蓑に、心の根っこのところを見ないままに突っ走っている、という気が、どこかでしていたのも、事実でした。猛スピードで駆けていくトロッコに必死でつかまって、ふりおとされないように、四肢に力を入れて力んで過ごしてきました。

 

しかし、その滑り落ちるトロッコは、わたしの認識がつくりあげた幻影で、現に、10年間目指してきたことを「あきらめた」今、つねに自分を苛んできた、トロッコの、下り落ちる音は止みました。わたしが、自分で自分を、その下り落ちるトロッコに乗せ、必死にしがみついているあいだに、どれだけのことを素通りしてきてしまったのかと、茫然としています。そのあいだに起きた出来事、出会った人たちやかけられた言葉、見聞きして、経験したこと...暴走するトロッコから見える景色と、その幻影が止んだ今、見える景色は、べつのものです。今は、そのひとつひとつを拾い上げ、意味づけを変える、という作業が、自分には必要だと、感じています。

 

この認識があったから、というわけではないのですが、9月の頭に、今している仕事のひとつを今月いっぱいで辞めることにしました。すでに、半年前に大幅にシフトを減らしていた仕事で、そのときは、人から、わたしがあまりに仕事に入れこんで、朝も夜もなく働くのを心配されてやっと、自分のそんな様子に気がついた、という経緯があります。その前にも、やはり同じような状況を経験してそこから抜け出したばかりだったのに、同じことをくりかえしていたのでした。カルト的なものから、なかなか足を洗えない、というのに近いというか、そういう精神状態にあったと思います。あるいは、ブラック企業の社員へのマインドコントロールということも、最近よく見かけるようになった話題ですが、それにも近かったと思います。


わたしの場合は、辛うじて、人に目を覚ましてもらって、「辞めます!」と宣言したあとで再就職活動を始めるという、綱渡りなことをやったのですが、これも運良く専門学校の講師の仕事が決まって、ただ、それだけでは生活していけなかったので、週に2~3日はまだシフトに入っていたのでした。9月の頭に、それを完全に辞めると、口に出しただけで、心がフッと軽くなって、自分でも驚くほどのストレスがかかっていたことに気が付きました。長く、ストレスに晒されたままでいると、そうでない状態への想像力も鈍くなり、現状への認識も、それを変えようとする意志や行動も、不活発になるのだと、身をもって感じました。

 

 

・・・・・

 

 

ちょうど、そんな激動の9月を送っていたときに、冒頭のキーホルダーの友人と、一年ぶりに再会したのでした。彼女とは、大学の4年間、同じ部活で濃い時間を過ごした仲で、わたしのこともよく知ってる。その彼女の4年間の意味づけと、自分のそれとが、大きくちがっていたことにも、静かな衝撃を受けた。彼女とは、卒業後も1年に1回ぐらいはなんだかんだで会ってはいたのだけれど、今回のようにあとの時間を気にすることなく時間をつくったのはひさしぶりで、心行くまで話した。自分の基本は大学の4年間でつくられた、と言い、今も眼差しを高く、新しいことに挑戦している彼女を頼もしく、誇らしく思いながら、自分の大事な一部を思い出させてもらった。

 

10年間、目標としてきたことをあきらめても、これまでの自分が帳消しになるわけではないし、その自分を生かすかどうかも、この先の自分次第だ。ずっと、道は続いている、という想いもこめてのアイコンと、「13junjun」という名前に変えてみました。13は、一番長くつけてきた背番号で、junjunは10年前に呼ばれていたニックネームです。ここからの10年で、確かな知識と技術を養いたい。

 

 

 

 

 

 

 

夢の話。

三連休の最終日は、午前中に授業の予習を済ませ、床に散らばった本やら服やらをあるべき場所に戻してさっと掃除機をかけ、まだ余力があったので、梅雨から夏にかけてお世話になった除湿器のお手入れなどして過ごす。

 

昨日の夜は、寝ようとしたらひどい頭痛に見舞われて、「まぁ寝たら治るか...」レベルのものではなく、頭の血管がどくんどくんと脈打って寝るのさえままならないので、たまらずロキソニンを飲んだ。5分くらいすると、すうっと痛みが引いて、さすがのロキソニンである。

そのせい、というわけではないのだけれど、変な夢を見た。
タイトルの夢の話、というのは、「叶えたい夢」ではなくて、夜に見る夢のほうなのだけれど、「変な夢を見た」といって、夏目漱石の『夢十夜』のような趣があるわけでもないし、はっきりいって、書くほどおもしろいようなものでもない。というか、ハッキリ言って、気持ち悪い夢だ。それをわざわざなんで書こうかと思ったかといえば、実はその夢を見るのは、今回が初めてではないからだ。

 

ふだん、わたしはあんまり夢を見ない。
見たとしても、日常の延長のような夢で、あまりに現実っぽすぎて、ときどき夢の中の出来事だったか、実際にあったことだったかがわからなくなり、「この間こういうことあったっけ?」と周りに聴くと、そんなことはなかった、と言われる、ということがある。よく、奇想天外な夢を見る、という人がいるが、極彩色に満ちたファンタジックな夢なんてのは見たことがない。

ただ、繰り返し見る夢、というのがある。だいたい2つのパターンがあって、それぞれ合わせたら今までに10回以上は見ただろうか。それが多いのか少ないのかわからないけど、一つは、口の中の歯が、ボロボロと抜け落ちていく夢だ。べつに、夢の中の自分がおばあちゃんになっているわけではない。「アレ、なんか歯がグラグラするな」と思って1本の歯を指でつまむと、根本からごそっと抜ける。そうしてるうちに、今度は別の歯がグラグラしていて、同じようにつまむと、同じようにポロリと抜ける。そのうち、あちこちの歯がどんどん抜けて、口の中は自分の抜けた歯でいっぱいで、吐き出したいのだけどうまくいかずに、口の中がジャリジャリになる、という夢である(ホラ、気持ち悪い)。

 

もう一つのパターンは、やっぱりこちらも口が関係していて、今度は歯ではなく、「何か得体の知れないもの」が口の中に詰まってる夢だ。「それ」は、歯茎と唇のあいだにくっついていて、わたしは不快なので指で「それ」をこそげ落とそうとする。「それ」は白い塊りで、ちょっと湿った粘土のようなものである。ボロッととれても、歯が抜け落ちるパターンと同じで、次から次へと口の中に「それ」は溜まっていって、こそげ落とすのが追いつかない。夢の中だけれど、口の中に「それ」が溜まっていく感じはとても不快で、この夢を観て起きたときは、口の中に感触が残っているような気がするぐらいだ。

 

この二つのパターンの夢を、ごくたまに見るのだけど、今回は2つの目の夢だった。べつにわたしは、口や歯に病気を抱えてるわけではないし、特別なコンプレックスがあるわけではない。身体のパーツの中で、とくべつ好きなパーツでもなければ、嫌いでもない。どちらかといえば、この夢の重点は、歯とか口とかいう部分ではなくて、「吐き出したいけど吐き出せない」というところに重点があるような気はしている。夢を見るときの条件のようなものも、残念ながらはっきりと自分でわかっているわけではない。今回はひどい頭痛があったけど、毎回そうだというわけではない。たしかに、ちょっと疲れてるかな、というときが多いような気もするけど、あとから思えば、程度のものである。

同じ不気味でも、『夢十夜』のような、異次元に引きずり込むような、どこか快楽を伴うような不気味さではなく、ただただ生理的に気持ち悪いだけの話で申し訳ないのだけれど、もう少しつづけると、実は今回の夢には、今までにはない変化があった。

 

いつもなら、口の中が「白い塊り」でいっぱいになって、必死で吐き出そうとしても吐き出せなくて涙目になっているところで目が覚めるのだけど、今回は、「白い塊り」が、「液状」になった。夢の展開はまったく同じなのだけど、わたしが必死で「白い塊り」を吐き出そうとしていると、いつの間にそこにいたのやら、知り合いがそばにいる。そうして知り合いの前で吐き出そうとしていると、知らないあいだに口の中に詰まっていたものは、「液状」になって、次から次へと口から流れ出している。

 

それで話は終わりなのだけれど、「だから何!?」と言われても、返す言葉もない。もっともらしい解釈をつけようと思えばつけられるかもしれないけど、意味のないものだって、あると思うし、意味がなきゃ、話しちゃいけないわけでもないから、「ただ、こういう夢を見た」というだけの話です、ほんとに。

 

はー、秋晴れの爽やかな日の午後に書くような話ではなかったかな。

 

 

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写真は、以前にアップしたシルクジャスミン。健気に育っている。

ピントがぼやけてしまっているいけど、真ん中の黄緑の小さな葉っぱは、米粒よりも小さくて、それがちょっとずつ大きくなるのを見るのはたのしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホームポジション。

三連休の初日(ほんとうは、昨日もお休みだから四連休)。
朝遅く起きて、白ご飯にしらすをかけたのと、昨日の残りのなめこのお味噌汁、それから目玉焼きと茄子の炒めもので朝ごはん。

 

それから、夏期講習後半へ向けて授業の予習をするけれども、どうも調子が悪い。昨日思い立って、うちから電車で1時間ほどのところにある温泉へプラっと行ってきたのだけれど、リフレッシュのはずが、頭、生乾きでウロウロしてたもんだから、ちょっと風邪をひいたのかも...(うう、おバカ)。つい2週間ほど前にも、恒例の季節の変わり目の風邪をやってしまったばかりだというのに。

昔から、ひとやま越えるごとに、必ずといっていいほどカーッと高熱を出していた。いや、正確に言うと、子どものころは、例えば運動会などの行事があると、本番前からテンションがあがりすぎて、当日に熱を出すような子どもだった。大人になると、本番で120%をふりきって、その後倒れる、ということを繰り返してきた。

 

なんというか、魂と身体をぎりぎりの状態にもっていくことで出る馬鹿力にモノを言わせていたようなもので、まぁ、若くてぴちぴちなときはそれでもいいけど、大人になってそれを繰りかえすのは、ちょっとね...どうかと思うよね。自分ひとりならそれでもいいかもしれないけど、仕事でも対人関係でも、いつブチ切れるかわからない、張り詰めた糸みたいなヤツ、ちょっとコワいよね...

 

もののついでに書いてしまうと、そういう様子がまわりからは、なんだか「武士」っぽく見えたらしくて、「歴戦の剣士」とか「野武士」とかあだ名されたり、「仙人」とか言われてた。6年前に関東から関西へ来たのだけれど、関東時代にもいわれたし、こっちへ来てからもやっぱり言われる。しかも、言われてまんざらでもなく思ってたところもある。今思えばだけど、自分の実像に見合わない虚像に自分を見立てて、ムリが出ていたんだろうなぁ。ちなみに今は、教えている学生から呼び捨てされるぐらいには、丸腰です。


話を戻すと、そんなわけでここ最近は、やっと養生に気をつけるようになった。ここにくるまでには、これまでの恋愛の影響も大きくて、お互いの中にあるブラックホールが呼び合うように出会った相手と恋に落ちてみても、その恋愛のおわりのほうになると、決まって、大事にしたいのに、その正反対の結果になってしまうのだ。打ち上げ花火のようにドカーンとあがって、瞬く間に燃え尽きるような恋愛があってもいいし、いちいち恋愛から反省材料を引っ張ってこよう、という気はないけど、その花火が燃え尽きたあとの燃えカスになって、自分で自分を愛おしんであげないとなぁ、と、ぽつん、と思った。

 

で、何をおろそかにしていたかって、身体の中に入るものに、非常に無頓着だった。
劇団に3年間いたあいだの食生活なんか、思い出してもぞっとする。三食コンビニorファストフードなんてこともざらにあったし、作業中には甘いものをバクバク食べて栄養ドリンクをぐいぐい呑んで限界まで身体を酷使してた。精神が擦りきれそうなのを、食欲とかに転化していた、ということもあると思う。

 

そんなわたしが、今、養生の参考にしているのが、鍼灸師の若林理砂先生の『冷え取りご飯 うるおいご飯』というご著書。理砂先生はTwitterでも毎日養生予報を流していて、メルマガでも月に2回、季節ごとの養生法をお知らせしてくれていて、そちらも参考にしているけど、この一冊は、とにかく重宝している。この本の前半は、食養生についての考え方がわかりやすい文章で書かれていて、後半は季節ごとのレシピが掲載されている。


理砂先生の考え方で、わたしにハマったのは、「自分のホームポジションを知る」という考え方だ。調子の悪くなったときに慌てて対処するのではなくて、調子がいいときの状態をよく観察しておく。そうすると、少しの体調の変化にも気がつくようになり、早めに対処できたり、また、「いつでも100%」なんてのはなくて、体調は良いのと悪いのとをいったりきたりしているのがふつう、と思えば、少しの体調不良でも余裕でかわせる、という風に考える。



それから、食養生に気をつけるようになって変わったことは、「旬のもの」を食べるようになったこと。これ、ほんとに、人間、意識してないことは目にも入らないんだなぁと思うのだけど、行きつけのスーパーでも、今までも旬の野菜とか置いてただろうに、目に入ってなかった。理砂先生の推奨するレシピは、旬のものを季節にあったやり方で調理していただく、というもので、もともとは、野菜なんかもほとんど手をくわえずにそのまま食べたりするのが好きだった自分のことも思い出せた。この夏は、茄子とかトマトとかズッキーニばっかり食べてました。

悪習を急には断ち切れないし、そのことがかえってストレスにもなるなら、たまには「不養生という贅沢」を罪悪感なしにするのも必要!とも理砂先生は言っている。だいたい、高い目標を立てて到達する前にげんなりしてしまうわたしなので、まあ、ゆっくりと時間をかけて、そのうちに食養生が板についてきたらいいなぁと思いながら、ぼつぼつやってる。

 

で、今日のお昼は、ちょっと調子悪くて気分も落ち込み気味だったので、ここはひとつ、新しいレシピに挑戦だっ!と、その本の中の秋レシピにトライしてみた。「奄美の鶏飯」というレシピで、ご飯のうえに、ささみとしいたけ、卵とねぎと柴漬け(本場はパパイヤの漬物らしい)を載せて、鶏ガラスープをかけていただく。よからぬことを考えたり、へんに気が焦ったり、不安に負けそうなときは、いろんな味を楽しみながらご飯をいただくことが、命綱になるね。

これからも、ぼちぼち、食養生つづけます。

 

 

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折り返し地点なので映画を2本観る。

今週の月曜日から始まった夏季集中講座も、今日で折り返し地点だ。

ひさしぶりに、ワンピースにジャケットを羽織ってヒールで武装して臨む90分授業は、終わるころには足は痛いわお腹はぐうぐう鳴っているわ、だけれど、こちらの話に食い下がって、必死でホワイトボードに書いたことをノートテイクする学生たちの目を見ていたら、ヨッシャー、と、どこからともなく力が湧く。初日の授業で、「英語、ひさしぶりに見ますー!」と無邪気に言われて、「ヨヨヨ...」といきなりずっこけたのではあるが。がんばろうね、みんな。

 

集中講座中は、毎日授業があるので、帰宅したら授業の復習と予習をして、明日に備えてさっさと寝る、という生活を機械的に送っていたのだけれど、今日から4連休なので、少し不養生という贅沢を謳歌している。ふだんは控えているビールと、ジャンクフードを解禁して、思いつくままにこうやって文章を書いている時間が、自分にとっての贅沢な時間である。

 

時間があるのをいいことに、まだ日が明るいうちから、ゴロゴロしながら映画を立て続けに2本観る。1本目はソコソコだったけど、2本目の映画はよかった。と、いうか、タイムリーすぎて、いちいちヒロインに、「ウオオー、わかるー!」と共感してみたり、ヒロインに対して、魅力的なキャラクターたちがかける言葉にいちいちじんわりきたりと、ゴロゴロまったり、なはずが、独りでドッタンバッタンしながら観るハメになってしまった。

 

その映画は、『ブロークン・イングリッシュ』という2007年のアメリカ映画で、ヒロインはNYのホテルに勤務する30代半ばのノラ。ノラは、いいな、と思っていた相手が大親友のオードリーと結婚してしまったり、ホテルの客として来た売れっ子俳優と恋に落ちたら、相手には恋人がいたりと、仕事ではやり手で、きめ細やかな気の利く魅力的な女性なのに、恋愛面ではどうにも貧乏クジを引いてしまい、そのために、人を愛することに臆病になってしまっている。

 

そのノラが、同僚の開いたパーティーに気晴らしに出かけたところで、フランス人のジュリアンと出会う。このジュリアンの出で立ちが、白いTシャツの上に薄手のグレーのジャケットで、頭にはストローハット(ヘアスタイルは坊主)という、なんていうんだろう、普通だったら、「おま、それやりすぎだろw」となってしまいそうな要素を気負わずさらっと身に着けているというか・・・ひらたく言えば、わたしの好みってだけなんですけど(ボソリ)。ただひとつ、「なんで?」と思ったのは、彼がくわえ煙草をトレードマークにしていて、出てくるときにはいっつもくわえ煙草。んー、それはあんまりかっこよくないぞ?と、ちょっとその演出が不可解だったんだけど、ただ、その煙草がないと、単に小奇麗なイケメン、で片付けられてしまうのを、ひとクセある奴に見せてる、という効果はあったのかな・・・あと、ノラも、煙草をスパスパ吸うわ、テキーラをぐいっとあおるわ、なので、あんまりクリーンな相手では、太刀打できなかったかも。

 

書きながら、使われてる小道具とかは、古典的で、ストーリーも奇抜なものではないのだけれど(ときどき、細部が作りこみすぎてて、必然性があるのか?というような場面もある)、それでも、ノラの抱える底抜けの寂しさみたいなものを、パーカー・ポージーが好演していて、思わずそのリアルに惹きつけられてしまった。

 

情熱的にジュリアンに迫られてそれに応えるのを躊躇してはぐらかしたり、セックスをしなければ相手に嫌われてしまうんじゃないか、なんて思って、相手に気をつかったりするノラの中には、仕事人として自立した一人の女性と少女のようにウブでにぶくさい部分が同居している。ノラがジュリアンとデートをしていて、パニック発作を起こしてしまって、洗面所に常備してある薬を掴んで飲み込む場面があるけれど、病名や症状の名前がつかなくても、精神のバランスがちょっとしたことで乱れて起こってしまう、小爆発みたいなものがあるのには、共感する人も多いんじゃないだろうか。爆弾抱えて生きている、みたいな気がするときは、わたしにはある。

 

映画は後半で、舞台をNYからパリに移すのだけど、それは、一緒に行かないかという誘いに躊躇してNYに留まったノラが、親友のオードリーと、ジュリアンを探しに行くという設定。パリに移ってからは、少し映画のタッチが変わるというか、女2人の友情がフォーカスされたりして、そこからちがう映画みたいだというか、第二部、のような趣がある。ノラは、ジュリアンが書き残してくれた電話番号のメモを失くしてしまい、パリでの人探しは絶望的な状況になるのだけれど、それでも、オードリーと一緒にアメリカに帰らず、ノラはパリに留まる。

 

ノラは、「自分の力でやらなくちゃ。他人に決めてもらうのはもうおしまい」と、パリに残って、それまで彼女を支えていたオードリーや母親のいない土地で、見知らぬ人たちと交流を持つ。美術館で出会った男たちと他愛もない会話をしたり、バーでおじさま相手に自分の身の上話をしたり。このオジサマには、やさしく、だけど、はっきりと、君は夢見がちだ、みたいなことを言われたりもするんだけど、底なしの悲しさや寂しさみたなものに、自分で持ち応えられるようになることが、ノラが次にジュリアンの前に立つ準備だったんじゃないかな、とわたしは思う。

 

映画の話が、ところどころ(?)、自分の話に横滑りしていってしまったけれど、またひとつ、人生に寄り添ってくれるよい映画に出会えて幸せです。ちなみに、ジュリアンを演じているメルヴィル・ブポーは、今、大注目のグザヴィエ・ドラン監督作品『わたしはロラン』に主演しているそうだ。観なければ!!!

 

蝉が、道端で死ぬ前に転げまわるように、ジタバタジタバタする毎日ですが、好きな映画から力をもらって、ぼちぼちやっていこうと思います。ゴー。

 

 

六車由実さんの記事を読んで


今日の朝日新聞に掲載の六車由実さんの記事を読んだ。http://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S11261260.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11261260


 

六車由実さんは、もともと民俗学の研究者で大学教授の職に就いていたけれど、その職を退いて介護の世界に入った方だ。この記事を読む以前から、ご著書の『驚きの介護民俗学』やTwitterなどを通して六車さんのことは一方的に存じ上げていた。だけど、この記事に書かれているような、大学を辞めて介護職員になるいきさつや、外からやってきた六車さんの目に介護の現場がどう映り、何を問題と考えていらっしゃるかなどは、ご著書からだけでは知らなかったことで、興味深く読んだ。

 

わたし自身、介護とのつきあいは今年で5年目になるだろうか。といっても、わたしの場合は、六車さんのように介護職員として施設で働いてはいなくて、介護の相手も高齢者の方々ではなく、重度身体障害者の方々だ。わたしは、もともと福祉を学んでいたわけでもなく、身内に介護が必要なメンバーがいたわけでもない。わたしの介護との出会いは言わば「事故的」なもので、大学院の博士後期課程在籍中、大学を飛び出してはまり込んだ芝居で、身体障害を持つ方たちと一緒に作品づくりに関わったのが始まりだった。

 

そこで3年間どっぷりと裏方をやりながら、重度身体障害者生活介護に入ったり、ときには国内外問わず、ツアー公演などにも山のような荷物を背負いながら車椅子を押して出掛けて行ったりした。その3年間で関わった人たちは、障害の程度も軽度から重度までさまざまであったし、年齢層も上は70過ぎ、下は現役高校生もいた。関わっているあいだに亡くなる方もいた。劇団の主宰が、「みんな早く逝く」と言うのを聴いたことがあったけれど、わたしがいた間だけでも、3人の方が亡くなった。劇団を辞めてからも介護との縁は続いていて、今も非常勤の仕事の合間を縫って、重度の方の訪問介護を副業にしている。

 

今回の記事で六車さんが問題にしているように、「ケアする側、される側」という関係性については、以前より介護に入る頻度の減った今でも考え続けていることだ。六車さんの指摘するように、ケアする側は、意識しなければ簡単に「優位」に立ってしまい、ともすればケアする側に都合のいい介護をしてしまいがちだ。また、ケアする側とされる側の関係が密になりすぎて、仕事としての関わりなのだけれど、そうキッパリと線を引けるもんでもない、という問題も出てくる。ケアされる側の当事者にしたら、良質の介護のできる、痒いところに手の届くような介護者に入ってもらいたいのは当然で、当事者のまわりには、パートナーやベテラン介護者を中心とした親密圏が築かれていることがほとんどだ。これがそのまま、彼らのセーフティネットにもなるわけだが、この親密圏内で関係が閉じがちだということも、一方では出てくる。

 

わたし自身、当事者とのあいだで共依存関係をつくってしまいがちだった。個人的な話になるが、わたしは自分の家族と良い関係を持てていない。物心ついたときから、不満と鬱憤の吹き溜まりのような環境で息をしながら、言葉や肉体的な暴力を受けながらも、その加害者でもある母親の、「唯一の理解者」というポジションをとることで自分の身を守ってきた。そのように屈折してしか、「安全」や「安心」は得られないものだという日常を生きたおかげで、大人になってからも、人と対等に信頼し合うということがどういうことなのか理解ができなかったり、恋愛関係にも、その屈折したあり方を持ち込んでしまったりしてきた。話を介護に戻すと、介護の場面においても、当事者と自分との関係性が、母親と自分との関係性の焼き直しのようになっていることに気がつくことがあり、愕然とした。おそらく、母親の、自分への追いすがり方を、当事者の中にわたしが見てしまっていたのだと思う。「この人には自分しかいない」と思いこむことで、わたしはわたし自身の尊厳を保とうとしていた。

 

でも、何のことはない、冷静になってみれば、介護の現場で「自分しかいない」わけはなく、実の母親は今もたくましく生きている。わたしが「尊厳」だと思っていたものは、尊厳でもなんでもなく、恐怖によって縛られていただけだった。その場がなくなったら生きていかれない、と思っていたのは、相手ではなく、自分のほうだったのだ。もちろん、子どものときには、実際にそうであったからこそ、その屈折した仕方を採用して生き延びてきたのだけれど、そうやって、恐怖を捻じ曲げて解釈しなければ生きていかれない状況というのは、大人になった今では、そうそうあるものでもない。それなのに、それと似たような状況を嗅ぎ取ってわざわざ出掛けていってしまうクセは、いまだに自覚するときがあるけれど。

 

話を戻そう。記事の最後で、六車さんは、「介護の世界はすごく閉じられているようにも感じます。多くの目にさらされない世界では虐待も起こり得る。外に開いていくこと、いろんな経験をへた人に関心をもって入って来てもらうことが大事です。民俗学を学ぶ後輩にも来てほしい。そうすれば、介護の現場は、もっと豊かな世界になっていくはずです」とおっしゃっている。介護の現場が閉じられてしまうのは、そこへ関心の目がいかないという外側の理由もあるのはもちろんだけど、ここに書いてきたような、内側から閉じてしまうような心理的な側面が及ぼしている影響も、大きいように思う。この社会の成員ひとりひとりが、いつ自分が弱者になるかもれず、また現に弱者でもあり、さらに、誰かにとっての強者でもあるという自覚を持っていけるような、懐の深い人間性を育んでいくことが、遠回りなようであっても、「もっと豊かな世界」につながっていく。わたしは、そのように思う。