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「とりこし苦労症」について。

最近、自分は「とりこし苦労症」だ、と思うことがよくある。

例えば先日、勤務している学校で、クラス替えがあったときのこと。
資格試験の結果によって、上のクラスへ移動する学生と、元のクラスに留まる学生とに分かれる。また、人数調整のために、他のクラスと合流する場合もある。

 

それで、ワタシのクラスへ、他のクラスから留学生のK君がやって来た。移動初日の授業が終わり講師控室へ戻ると、ドアの前にK君が立っている。「誰かに用事ですか?」と尋ねると、「クラスを変更してほしいのですが。」と言う。

 

そこへ、K君の元のクラスのY先生が通りかかり、二人して話を聴くことに。

彼の話をまとめると、彼は日本では就職するつもりはなく、彼の国ではこの授業が対象としている資格試験が就職に有利に働くということはないため、今回の試験は受験しなかった、だけど、一つ上のクラスの試験を受けて結果が良ければ、クラスを移動させてほしい、ということだった。

 

Y先生が、「特別に試験を受ける、ということはできないのだけど、〇〇先生(ワタシ)と相談して、授業内容を考えていくから。」と丁寧に説明してくれ、その場は収まった。

だけど、その日家に帰ってからも、クラス変更をしたい、と言って来た彼のことを考えてしまう。「授業が易しすぎたかな」とか、「でも、他の学生のためには、少しゆっくり進みたいんだけど」とか、ぐるぐると考える。Y先生が、「普段は授業をおとなしく受けていて、こんなことを言ってくるのは初めてなんですが...」と首を傾げていたのも、微妙に気になっていた。

 

悶々としたまま、次の授業日を迎える。朝、学校へ着くと、Y先生も気にしてくれていたみたいで、期末試験の結果次第では、コーディネータの先生に掛け合うこともできる、ということをお話してくれた。

それならば、と授業の前にK君をつかまえて、話をすることにした。「今は、実力とミスマッチな内容かもしれないけど、期末試験で結果を出せば、後期からのクラスは考慮できるよ。だから、それまでは一緒に頑張ろう。」と。それを聴くとK君は、初めて顔をほころばせて、頷いていた。

その日の授業で、K君は、積極的に発言をしたり、ワタシが話すことにも、いちいちに、ウンウンとリアクションをしていた。さらには、話してみると最寄り駅が同じ、近所に住んでいることがわかり、「(会ったら)挨拶します」とも言ってきた。Y先生も言っていたけれど、本当にクラスを変わりたい、というよりは、よく様子も分からないなかで、クラス移動があり、困惑していたんじゃないか、と。講師控室のドアの前に立っていた彼は、白い顔を引き攣らせていた。もしかしたら、不安をただぶつけたかったのかもしれない。

一人で、ネガティブな方向への想像力を全開にして、思い詰めていたけれど、蓋を開けてみれば、見当違いな方向で思い詰めていたな、と頭をポリポリ掻いてしまう。もちろん、常に授業の内容への反省はあるべきだろうけど、肝心の本人の状況を置き去りにしていては、独りよがりでしかない。

仕事に限らず、人間関係やその他の日常の些細な場面でも、勝手に思い詰めすぎることがある。そしてたいてい、動いてみたら、見当違い、ということが多い。今まで人から、「ときどき、驚くほど卑屈になるよね」とか、「(意外に)すごい慎重派だよね」などと言われてきて、そのたびに、「そうかな。」と、あんまりピンときていなかったのだけれど、今は、「そうだな。」と、思い当たる節がありすぎる。
 

想像力全開、はいいけど、自分勝手にネガティブ方向へふりきれて、まわりの人を置き去りにするのは、やめたい。