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折り返し地点なので映画を2本観る。

今週の月曜日から始まった夏季集中講座も、今日で折り返し地点だ。

ひさしぶりに、ワンピースにジャケットを羽織ってヒールで武装して臨む90分授業は、終わるころには足は痛いわお腹はぐうぐう鳴っているわ、だけれど、こちらの話に食い下がって、必死でホワイトボードに書いたことをノートテイクする学生たちの目を見ていたら、ヨッシャー、と、どこからともなく力が湧く。初日の授業で、「英語、ひさしぶりに見ますー!」と無邪気に言われて、「ヨヨヨ...」といきなりずっこけたのではあるが。がんばろうね、みんな。

 

集中講座中は、毎日授業があるので、帰宅したら授業の復習と予習をして、明日に備えてさっさと寝る、という生活を機械的に送っていたのだけれど、今日から4連休なので、少し不養生という贅沢を謳歌している。ふだんは控えているビールと、ジャンクフードを解禁して、思いつくままにこうやって文章を書いている時間が、自分にとっての贅沢な時間である。

 

時間があるのをいいことに、まだ日が明るいうちから、ゴロゴロしながら映画を立て続けに2本観る。1本目はソコソコだったけど、2本目の映画はよかった。と、いうか、タイムリーすぎて、いちいちヒロインに、「ウオオー、わかるー!」と共感してみたり、ヒロインに対して、魅力的なキャラクターたちがかける言葉にいちいちじんわりきたりと、ゴロゴロまったり、なはずが、独りでドッタンバッタンしながら観るハメになってしまった。

 

その映画は、『ブロークン・イングリッシュ』という2007年のアメリカ映画で、ヒロインはNYのホテルに勤務する30代半ばのノラ。ノラは、いいな、と思っていた相手が大親友のオードリーと結婚してしまったり、ホテルの客として来た売れっ子俳優と恋に落ちたら、相手には恋人がいたりと、仕事ではやり手で、きめ細やかな気の利く魅力的な女性なのに、恋愛面ではどうにも貧乏クジを引いてしまい、そのために、人を愛することに臆病になってしまっている。

 

そのノラが、同僚の開いたパーティーに気晴らしに出かけたところで、フランス人のジュリアンと出会う。このジュリアンの出で立ちが、白いTシャツの上に薄手のグレーのジャケットで、頭にはストローハット(ヘアスタイルは坊主)という、なんていうんだろう、普通だったら、「おま、それやりすぎだろw」となってしまいそうな要素を気負わずさらっと身に着けているというか・・・ひらたく言えば、わたしの好みってだけなんですけど(ボソリ)。ただひとつ、「なんで?」と思ったのは、彼がくわえ煙草をトレードマークにしていて、出てくるときにはいっつもくわえ煙草。んー、それはあんまりかっこよくないぞ?と、ちょっとその演出が不可解だったんだけど、ただ、その煙草がないと、単に小奇麗なイケメン、で片付けられてしまうのを、ひとクセある奴に見せてる、という効果はあったのかな・・・あと、ノラも、煙草をスパスパ吸うわ、テキーラをぐいっとあおるわ、なので、あんまりクリーンな相手では、太刀打できなかったかも。

 

書きながら、使われてる小道具とかは、古典的で、ストーリーも奇抜なものではないのだけれど(ときどき、細部が作りこみすぎてて、必然性があるのか?というような場面もある)、それでも、ノラの抱える底抜けの寂しさみたいなものを、パーカー・ポージーが好演していて、思わずそのリアルに惹きつけられてしまった。

 

情熱的にジュリアンに迫られてそれに応えるのを躊躇してはぐらかしたり、セックスをしなければ相手に嫌われてしまうんじゃないか、なんて思って、相手に気をつかったりするノラの中には、仕事人として自立した一人の女性と少女のようにウブでにぶくさい部分が同居している。ノラがジュリアンとデートをしていて、パニック発作を起こしてしまって、洗面所に常備してある薬を掴んで飲み込む場面があるけれど、病名や症状の名前がつかなくても、精神のバランスがちょっとしたことで乱れて起こってしまう、小爆発みたいなものがあるのには、共感する人も多いんじゃないだろうか。爆弾抱えて生きている、みたいな気がするときは、わたしにはある。

 

映画は後半で、舞台をNYからパリに移すのだけど、それは、一緒に行かないかという誘いに躊躇してNYに留まったノラが、親友のオードリーと、ジュリアンを探しに行くという設定。パリに移ってからは、少し映画のタッチが変わるというか、女2人の友情がフォーカスされたりして、そこからちがう映画みたいだというか、第二部、のような趣がある。ノラは、ジュリアンが書き残してくれた電話番号のメモを失くしてしまい、パリでの人探しは絶望的な状況になるのだけれど、それでも、オードリーと一緒にアメリカに帰らず、ノラはパリに留まる。

 

ノラは、「自分の力でやらなくちゃ。他人に決めてもらうのはもうおしまい」と、パリに残って、それまで彼女を支えていたオードリーや母親のいない土地で、見知らぬ人たちと交流を持つ。美術館で出会った男たちと他愛もない会話をしたり、バーでおじさま相手に自分の身の上話をしたり。このオジサマには、やさしく、だけど、はっきりと、君は夢見がちだ、みたいなことを言われたりもするんだけど、底なしの悲しさや寂しさみたなものに、自分で持ち応えられるようになることが、ノラが次にジュリアンの前に立つ準備だったんじゃないかな、とわたしは思う。

 

映画の話が、ところどころ(?)、自分の話に横滑りしていってしまったけれど、またひとつ、人生に寄り添ってくれるよい映画に出会えて幸せです。ちなみに、ジュリアンを演じているメルヴィル・ブポーは、今、大注目のグザヴィエ・ドラン監督作品『わたしはロラン』に主演しているそうだ。観なければ!!!

 

蝉が、道端で死ぬ前に転げまわるように、ジタバタジタバタする毎日ですが、好きな映画から力をもらって、ぼちぼちやっていこうと思います。ゴー。