同志よ。

ここのところ、知り合いと交換日記のようなメールをやりとりしている。

「交換日記」という言葉はもう死語なのかもしれないけれど、かなりな長文をぐだぐだと打って送ると、2~3日おいて、相手も長々と長文を返してくるというやりとりは、交換日記の間合いと似ている。相手に返事を急かすでもなく、でもどこかで返事がくるのを楽しみにしているようなやりとり。このペースをわたしも、おそらく相手も気に入っていて、ぼつぼつとやりとりが続いている。

 

その相手からおとといきたメールで、「過去に男女関係を持った相手・あるいはそれに近い関係になった相手とのその後の関係」が話題になった。メールの相手とは男女関係はなかったのだけど、彼曰く「売れない芸人と敏腕マネージャー」のような関係で、一度は好意を持ってくれた過去があり、そんな相手とこんな風にやりとりするなんて、他にはいないわ~ということだった。

 

それで、自分はどうかな、とふりかえってみて、今でも連絡をとっていて良い友人関係になっている相手もいれば、まったく連絡をとっていないのはもちろん、どこで何をしているかも知らない相手もいる。「その後」にどんな関係性になるのか、は、どんな付き合い方をしていたか、そして、どんな別れ方をしたのか、によると思う。そういえば最近、友人がつきあっている彼と別れるかもしれない、という連絡を寄越してきて、その別れ方を聞いて仰天したことがあった。何かといえば、別れることを前提に、最後のクリスマスは楽しく過ごそう、ということで、二人仲良くクリスマスを過ごしたというのだ。そんなことをしたら、余計に別れ難くなりそうなもんだけど、そうでもないらしい。わたしは、そんなきれいな別れ方とは無縁で、だいたいが、お互いのみっともないところを露呈し合って木端微塵になるのが常だった。

 

その「交換日記」の相手とは、粉々、とまではいかなくとも、なんとなく気まずくなり、連絡を取り合わなくなった期間があってから、何がきっかけだったかは忘れたが、また連絡をとるようになった。やりとりが再開して、お互いの仕事や生活上の悩みや考えていること、進行形の恋愛についての愚痴やノロケ話にいたるまで、ほんとになんでも話す。それでわたしが、「いやほんとに助かってます」というようなことを送ったら、冒頭に書いたような内容のメールが返ってきたのだった。それで、こういう関係ってなんていうのかなぁと考えていて思い浮かんだのが、タイトルに書いた「同志よ。」ということなんだけれど、すねに疵持つ同士、という感はある。

 

 

今日半日、このことをぼんやりと考えていたら、わたしが好きな歌人穂村弘さんと、精神科医で作家の春日武彦さんとの対談本のなかで、この「元彼・元彼女との友情」について書かれていたのを思い出した。

 

 

元彼女って自分のメンタリティの最低の部分を知られてるから心安いし、けっこう堅固な友情に近い感じになれるんですよ。前に昔のガールフレンドから明け方に電話で呼び出されたことがあったんだけど、彼女、道端で頭から血を流して座っててさ。ボーイフレンドが車をぶつけて事故に遭っちゃったから家まで送ってくれって言うんで送っていったら、今度は「彼が来るからもう帰って」って(笑)浮気相手とデートしてて事故ったから、僕に家まで送らせて、本命の彼が来るから帰ってくれなんて、普通だったらむかつくんだけど、関係性の歴史があるから、しょうがないなあだけで済んじゃう。

 

ここに書かれている、「けっこう堅固な友情に近い感じ」というのは、とてもよくわかる。いまさら知られて困るようなメンタリティもないし、お互いに言いたいこと言い合っても関係性が後退も進展もすることなく、お互いがアドバイザーの役割をかわりばんこにするよう関係で、とても頼りになるのだ。「交換日記」の相手とやりとりする中でお互いに同意したのが、恋愛関係を育てていくのには、第三者とハプニングが必要だよね、ということ。その相手の進行形のお相手とは、本人曰く“微妙かつ複雑かつ異様かつ不可解”な関係で、わたしとのやりとりがなければ、とてもじゃないけど、ゲームみたいに楽しみながら続けてられない、ということらしいし、わたしにしても、脳内妄想が暴走してどうしようもなくなったときに、ワンクッション置かせてもらえたことで、いらん争いを避けられた、という場面は多々あり...。

 

 

ひとつだけ気をつけたいなと思うのは、最近覚えた言葉に、「お互いがお互いをゴミ箱にする関係」というのがあるのだけれど、そうはならないようにしないとなぁということ。これは、わたしが体調管理のお手本にしている、東京の鍼灸師の若林理砂先生の言葉なんだけど、愚痴を言い合ってスッキリ!というのはたしかにあるのだけれど、それだけをやり続けていたら関係性がだらけてきて、良い友人関係でいられなくなる、ということを言っていて、そういうことは確かにあると思う。今のところ、「交換日記」の相手とは、お互いの愚痴をちょっと俯瞰してみたり、ユーモアに変えてみたり、ということができているからその心配はなさそうだけど、やっぱり、「親しき仲にも礼儀あり」だ。過去、破綻した人間関係って、恋愛関係に限らず、そこに尽きるという気がするし。傷つき、傷つけた分だけ、今の相手のことを思いやり、やさしくできるのも、過去の出会いと別れがあったおかげだなぁと思う。