一歳児と車椅子の義母と旅に出る【準備編】

ワタシとオットは、義母が脳出血で倒れたのを機会にこれからのことを話し合って結婚したようなものなので、結婚即在宅介護スタートで、新婚旅行などに行くという発想さえなかった。もともと二人とも、記念日とかの類に無頓着で、お互いの誕生日もスルー、そのぶん、ふだんからを楽しめばいいよね、というスタンスなので、結婚式も、仮に義母のことがなくても挙げなかったと思う。

 

さらに、在宅介護を決め同居を始めたら、あっという間にムスメを授かったので、旅行はおろか、ここ一年半ほどは遠出らしい遠出をしていない(唯一例外は、妊娠3か月ぐらいのころ、あんまり急にいろいろ決まったのを、当時距離を置いていたワタシの実家にさすがに一度、報告というか挨拶に行くか、と、車で片道9時間ほどかけて行ったぐらい)。

 

それが、ムスメも一歳になったことだし、ちょっとどこかへ一泊で行こうか、という話が持ち上がった。義母も、脳出血で倒れてから丸二年が経つが、退院当初より元気で、風邪で一度病院にかかった以外は病気らしい病気もせず、右半身の麻痺と軽度の記憶障害はあるものの、なんでもよく食べるし、退院当初こそ、自分の意思と関係なくパッド内で排泄してしまうことはあったものの、それも、朝と昼とにポータブルトイレへ座る習慣をつけたおかげか、だいぶん排泄のリズムが整い、外出するにもそんなにハラハラしなくても良い状態だ。義母が元気なうちに、ということと、さらに、今二人目がワタシのお腹の中にいて、またしばらく出掛けられなくなるし、行けるうちに思い切って出掛けてみようか、ということになった。

 

それで早速、一歳児と車椅子利用者が宿泊可能な宿から候補地を決めようと調べ始めたのだが、これがなかなか、求めている情報に行き当たらない。このご時世、一応バリアフリーをうたう宿泊施設の情報を集約したサイトはあるが、一歳児もいっしょ、ということを念頭に置いたものはなかなかない。そりゃそうだといえばそうなのだが、その二つを兼ねる宿を探すのにまずここまで苦労するとは、ちょっと予想を越えていた。

 

バリアフリーの設備があるところにしても、そこが個々の事情にマッチするかというとそうではなく、例えば義母の場合は、柵なしのベッドに寝るのはこわいから、部屋は畳で、ということになる。しかし、排泄時は車椅子をわきまでつけられる車椅子用トイレが望ましく、部屋になくても、館内の部屋からのアクセスの良いところに車椅子トイレがあることが必須の条件になる。こと、このことだけとってみても、館内に車椅子用トイレがあるかどうかを表記しているかどうかは宿や見るサイトによってまちまちて、あっちを見たらこっちもチェックして、ということをやっているうちに、戻りたい情報へ戻れなくなったりして、しかも、その作業をしているわきには一歳児がいるので、作業途中で遮られるのは当たり前、続きはまたあとで、となって、またイチから調べなおす、なんてこともしばしば…

 

これじゃ、旅行前にエネルギーを使い果たすかもしんない...とげっそりしつつも、だからといってこれであきらめるのも悔しいし、と、だんだん意地になってくる。最終的には、調べているうちに、必要な条件も絞られてきて、いくつかの宿にあたりをつけてオットにバトンタッチし、細かいところは直接宿と連絡をとって決定したのであった。

 

いざ、一歳児と車椅子の義母との旅行を計画してみて、なんてタイヘンなんだろ、と身に染みた。仮に自分だけなら、一泊二日の旅に出ようと思えば、こだわらなければ宿泊施設で困ることは、まぁ、ない。食事や排泄にしたってまぁなんとかなるやろ、と気軽なもんだし、持ち物だって、まぁサイアク行った先で調達できるよね、である。そういう気軽さ・お手軽さというのは、自分で自由に動けて、なんでも食べられて、排泄も自分のしたいときにできる、ということが前提になっていて、宿を提供する側やその情報の集まるサイトも、多くは、そういう相手を前提に商売をしている。何の気なしに利用していたこれまでのサービスは、「強者」の側に自分も立っていたからこそ享受できていたもので、ひとたび、自由の効かない側に身を置いてみれば、なんと心細いことか。

 

ワタシが、この社会は、「自分で自由に動けて、なんでも食べられて、排泄もコントロールできる」ことを前提に動いているんだ、ということをまざまざと感じたのは、今回のことよりも先にまず、第一子妊娠のときの経験がある。臨月まで、自宅から片道電車で一時間の距離を通って仕事をしていたのだが、臨月間近になってお腹がせりだしてくると、通勤時刻の満員電車と、人が慌ただしく行き交う駅のホームがおそろしかった。直接、「妊婦への悪意」というようなものをぶつけられるような機会はなかったし、むしろ、席を譲ってもらったり、職場でも仕事に必要な荷物を同僚が気を効かせて運んでくれたりと、人に親切にしてもらった記憶はたくさんあるのだけれど、それでもあの、「今、何かあったら、自分ひとりで切り抜けられるだろうか」といった不安感は、身重になったときに初めて感じたものだった。ちょうどそのころ、新幹線内で灯油をかぶって焼身自殺をした男性のニュースなどが飛び込んできて、もし今電車で何か起こったら、自分とお腹の子を守れるんだろうか、と背筋が冷たい思いがした。

 

今回、旅を計画してみて改めて、この社会は弱い立場にある人向けには動いていないんだ、ということを実感することになった。こんなことを言っていると、ワタシがこれまで関わりを持ってきた、障害がありつつ日常をパワフルに生きている知人たちの、「今さら何を寝ぼけたことを言ってるんや!」という声が聞こえてきそうなんであるが、まったくその通りで、いくら頭で理解して、その立場に立ったつもりでいても、ワタシは寝ぼけていたのである。

 

でも、いったん目が覚めたからには、こうしちゃいらんない。車椅子とベビーカーで連れ立って旅することが、当たり前の風景になればいいなという願いをこめつつ、その一歩の旅へ、明日からいってきます。