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あけましておめでとうございます。

まだ正月二日目という気がしない。

 

気分としてはもう、とっくに正月は終わり平常運転、というところだ。たぶん、正月といっても、自営業のオットは西暦が2016年から2017年へ変わるその瞬間も納期に追われて仕事をしていたし、ワタシもあいかわらず育児と介護に追われていたので、そんな風に感じるのだろう。
 
 
それでも、まったくお正月気分を味わわなかったかというと、そうでもない。おせちは義母の通うデイサービスが元旦からおせちの宅配をしてくれるというのでそれを注文済みで、あとは何も料理はしないでおこう、と思っていたものの、雑煮と高野豆腐ぐらい炊くか、と、大晦日に一歳児が寝たり起きたり、ヘルパーが出たり入ったりする中で寸胴いっぱいの雑煮とおおぶりの雪平鍋にぎゅうぎゅうの高野豆腐を炊いた。元旦の朝はそれで済まして、午前中に宅配っていうけど、何時ごろ来はるのかな?とか話しているうちに、10時前にはいつも義母のデイの送迎でお世話になっているKさんが、お正月早々から変わらないやさしい笑顔で届けてくれた。思いのほか豪華で味付けも濃すぎず「家庭の味」風で、元旦の昼と夜とは、それをつっつきながら十分にお正月気分を味あわせてもらったのだった。
 
 
結婚前は、正月、というものがどうにも苦手だった。実の父親は勤め人で、ワタシが子どものころは年末もまだ早いうちからがっつり休みに入り、年が明けて三が日を過ぎてもまだ仕事へ出て行かなかった。その間中、父はテレビの前でごろ寝を決め込み、テレビにはずっと時代劇か同じようなバラエティ番組が映りっぱなしで、父親はむっつりとフキゲンを決め込んでその画面を見ているか、いびきをかいて寝ているか、だった。正月の父の不機嫌は原因不明なのだが毎年のことで、家の真ん中にフキゲンのかたまりがごろんと横になっているものだから、母親も母親でキリキリしていて、子どものワタシとしてはそんな正月は憂鬱以外のなにものでもなかった。遠くに住む親戚ともワタシが物心つくころには絶縁状態で、どこに行くわけでもない、普段会わない人に会うわけでもない正月は、ただただ、「はやく終わらないかな」と思って過ごすものだった。
 
 
8年前に地元を離れてからは、正月も家に帰ることはなく、家族とまともに顔を合わせたのは、籍を入れることに決めた一昨年の春になってからだった。それまでの年末は、一人暮らしのアパートで本を読んで過ごすか、仕事を始めてからは人手が足らなくなる年末にはむしろ積極的に仕事に入るのが常だった。
 
 
親戚関係も近所づきあいもない孤立した核家族で育ったワタシは、「我が家流のおせち」や「我が家流の慣習」を受け継ぐこともなく、そういうものと自分を切り離してきた。母は手の込んだ正月料理をつくっていたし、父も買ってきた餅を飾ったりはしていたが、なにせそれがすべて、フキゲンが覆う家の中で行われるわけだから、何のための行事なのか、と、背を向けたままで大人になってしまったのだと思う。
 
 
それが今年は、雑煮を作ったり高野豆腐を炊いたり、おせちはどうするかな、なんてことを気にして暮らしている。家を出入りしているヘルパーと「良いお年を」とか、「正月早々ありがとうございます」とかいったやりとりをしたりしている。ワタシの記憶の中の、つゆが黒くて具がたくさん入って四角い焼き餅が入っているのとはちがう、輪切りの大根と里芋と、豆腐と餅が白だしのつゆの中にぽこぽこと顔を出したすべてが真っ白な雑煮を食べながら、味の加減どう、なんて会話をしている。雑煮の里芋をほおばる一歳児を見ながら、これがこの子にとって「うちの味」になるのか、などと考えて、今まで自分にとって、自分を縛る、逃れるべきものだった「家族」というものを、ワタシはこうして他人たちとともに今まさにつくっているのだと、団欒を前にしてそれを外側から眺めているような、ワタシの半分はその団欒に温かさを感じながらも、残りの半分では「これは現実なのだろうか」と目の前で繰り広げられる「家族劇場」を驚きの目で見つめているのだった。地元を離れてから出会った人たちのなかの数人に、「生活臭がしない」と言われたり、「ちゃんと生活をしなさい」と忠告をもらったりしてきたのだが、今の自分はどうだろう。印象を聞いてみたく思う。自分としては、この変化は嫌ではない、と思っている。
 
 
 
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。