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「そこにある生」に向き合うということ。

育児にも介護にも、盆も正月もないワ!と誰にともなく鼻息荒くしていたわりには、けっこう良いお正月のひとときを過ごし、今年は良いスタートが切れたな、と思っていたところで、ある記事に出会った。

 

 

記事:完璧すぎる嫁~自分の居場所がなくなる時・同居介護の難しさ~

http://blogos.com/outline/204331/

 

 

記事の内容は、息子夫婦と同居することになった80歳女性Aさんが、「完璧すぎる嫁」のために自分の居場所がなくなるように感じた挙句、そのモヤモヤが82歳の夫の顔めがけて枕を投げつけるという形で爆発し、そこでお嫁さんが、「この件に関して家族で話し合って振り返りをしないといけない」とケアマネジャーに相談するところから、その後の経過について書かれている。

 

 

この記事を読んで、いいな、と思ったのは、お嫁さんが、Aさんの癇癪を無視したり、その場限りで済ませたりせず、ちゃんと振り返りをしないといけない、と行動に移したことだ。そして、その後の話し合いで、Aさんが自分の本音を出せていることも。エピソードの最後は、お嫁さんが漬けものを漬けるのに塩の分量を計っていると、横からAさんがむんずと塩をつかんでさっさと入れてしまい、「いいのよ!」と笑い飛ばしている風景でしめくくられる。

 

 

家族構成や同居までの経緯は異なるものの、身につまされることが多く、思わず自分を重ね合わせて読んでしまった。とはいっても、ワタシは、この記事に出てくるような「完璧すぎる嫁」などではないが、それでも義母に、「居場所がない」と思わせてしまっているのではないか、と思い当たることがある。

 

 

義母は脳出血の後遺症で記憶障害があり、短期記憶がもたないのと、ここ数年分の記憶はごそっと抜け落ちてしまっている。ワタシがオットと籍を入れたのは義母が倒れたことがきっかけで、義母が入院している半年ほどのあいだに引っ越しを済ませ、在宅介護の準備を整えていたのだけれど、義母からしたら、帰ってきた我が家に知らない嫁がいて、家の中を切り盛りしているのである。そのことで嫌な顔をされたことはないし、むしろ始めから義母にはひたすら感謝されたのだけれど、やはり戸惑いは大きかったと思う。

 

 

それでもまだ子どもの産まれる前の方が、配膳や排泄介護で義母の居室に行くときに、義母の子どものころの話や子育て中の話などに耳を傾け、おもしろくそれを聴く余裕があった。それが、子どもが産まれてからは、どんどんとそれどころではなくなった。産後で身体がボロボロなことに加え、いつ泣くかと介護中も乳児のことが気になって上の空で、とにかく手早く介護を終えることしか頭になかった。そうすると、介護はどんどん「管理的」になる。「不都合なこと」が起きないように、先回りしては不安の芽を摘み、日常が滞りなく進むように計らう。そう言うと聞こえはいいかもしれないけれど、それが誰のためか、と言えば、本人のためというよりも、ワタシの「介護のしやすさ」のためだ。毎晩のパッド交換の、時間にしたらたった10分、長くかかっても15分のその時間、ワタシは機械的に身体を動かして、義母とのやりとりも最低限の、身体をどう動かしてください、とか、そういう指示的なものだけになっていった。

 

 

そうして「気忙しさ」を身に纏い、目の前の義母に対してというよりは、自分の頭の中で組み立てたスケジュールに向かって介護をするようになっていたとき、そういう自分の姿に気づかされる出来事があった。

 

 

義母の在宅介護は家族だけで成り立っているわけではなく、週に三日はデイサービスへ行き、それ以外に、朝は毎日、デイのない日には昼にも、訪問ヘルパーに来てもらっていて、一度に30分の時間の中で、排泄介護から清拭、身支度を整える等の介護をお願いしている。ヘルパーにもいろいろな人がいて、30分を越えてあれやこれや気を利かせて介護をする人もいれば、決まった仕事を時間内に手早く済ませるという人もいる。

 

 

その中で、義母の在宅介護の初期の段階から来ているBさんは、いわゆる「仕事のできるタイプ」で、義母が便失禁をしたときなども顔色ひとつ変えず手早く処理を済ませ、介護中も会話を絶やさず、かといって手元がおろそかになるわけでもなく時間にはきっちり終わらせ次の仕事へ行く、そんな人だった。Bさんも子育て中のため、乳児のいる我が家の状況を逐一説明しなくても気を利かせてくれて、訪問時に呼び鈴を鳴らさないようにとか、大きな声で挨拶をしないようにとか、こちらが頼む前からヘルパー間で徹底させてくれたりもして、心強いな、と、ワタシも頼りに思っていた。

 

 

それが、いつからだったか、ハッキリとした時期は覚えていないが、あれ?と思うことが重なった。Bさんが帰った後で介護に使用したタオルを回収しにいくと、決まってごく少量ではあるけれど、タオルに便が付着しているのである。ヘルパーが使用したタオルは毎回洗って絞ったものが置いてあるのだが、そのときも洗った形跡はあるからたまたま気がつかなかっただけかな、と、始めは気に留めなかった。それが、Bさんが来るたびに、タオルに決まって少量の便が付着していることが続いて、これはちょっとおかしいな、と思うようになった。

 

 

Bさんの様子も、以前と変わらずきちっと仕事はしてくれるし、顔を合わせれば義母の様子を報告してくれるのだけれど、目が、合わなかった。介護が終わり玄関先で言葉を交わしていても、どこか上の空で、もう身体の半分は外へ向いているような、そんな感じだった。

 

 

いったん気にし出すと、Bさんのそんな様子から、義母やワタシ達家族との関係は、こなさなければなさない仕事のうちの一つなんだな、という想いが膨らんできた。毎回あいかわらず白いタオルに付着している便を見るたびに、義母や自分たちが雑に扱われているようで、とても嫌な気分になった。

 

 

こうして、Bさんがくるたびにモヤモヤしたものを感じるようになったのだけれど、Bさんが気忙しそうにしながらワタシと話している姿を見ているときに、あ、自分もこうなんじゃないか、と思った。Bさんの、心ここにあらずな様子がこんなに気になるのは、そこに義母の前での自分の姿を見ているからだった。

 

 

そのことに気がついたら、そういえば最近、介護のときに会話がないな、ということに思い当たった。以前なら、いったん喋り出すと長いから、などとオットに苦笑いしながら愚痴りつつも、義母が戦時中に疎開した話や、ラジオから流れてくる玉音放送を聴いた話などに耳を傾けながら、自分とは全くちがう時代を生きてきた人なんだなと、目の前にいる義母の存在に、そのときには奥行きが感じられて、他に用事さえなければそのまま話を聞いていたいと思っていたのだった。

 

 

おそらく、義母が話をしなくなったのは、気忙しそうに立ち働くワタシの様子に気圧されたのだろう。自分が義母を黙らせて、ただ機械的に介護をする対象にしてしまっているということに気がつき、それを認めるのは苦しかった。ワタシは、在宅介護を始める前に、重度身体障害を持つ人たちとのつき合いがあり、介護も経験してきたのだが、その中で大事にしてきたのは、「人と人との関係性」だった。自分のペースに寄せて介護をするのではなく、相手のペースを考え、共同作業のようにして介護をする、そういうことを大事にしてきたつもりだった。

 

 

それが、いざ、介護が「在宅介護」という日常になり、子どもが産まれて余裕がなくなると、介護が「こなさなければならないことの一つ」になり、効率性ばかり優先するようになっていた。「人と人との関係性」を大事にするどころか、「気忙しさ」を身に纏って、「今、ワタシは、いっぱいいっぱいなんです!」というオーラをふりまいて、用事が済めば逃げるように義母の部屋を退散していた。

 

 

自分のそういう振る舞いに気がついてから、義母の部屋の戸を開ける前には、他のことがどんなに気になっていたとしても、いったんは思考のわきに置いておくように、ひと呼吸入れるようになった。どうしても子どもの用事と重なるときには、オットに助けを求めたり、それも難しいときには、義母本人にもちょっと今手が離せなくて、と話をするようにしたら、ワタシが思っていたよりもずっと義母は状況をよく理解していて、ワタシが口を出させない空気を纏っていたことで、黙って受け身でいさせることを強いてしまっていたんだ、と気がついた。

 

 

介護をしていると、どうしても自分が「強者」として立ってしまいがちだ。半身が麻痺して、記憶障害があって、排泄も人の助けがないとままならないとしても、義母には80年生きてきた歴史があって、その人生を前に、ワタシが頭で描いた生活を良かれと思って押しつけようなんて、思い上がりだった。

 

 

ワタシに、このような気持ちの変化が起こってから、とくべつに義母と話をしたわけではないのだが、このごろ、またポツポツと、義母は昔の話をするようになった。父方の出は、もとを辿っていくと関東の武士だ、とか、父親は戦時中でまだペニシリンが足りないから、本来助かるものが助からなかったんだとか、義母の口から語られる話の中では、義母の生きてきた時間が息づいている。義母の存在の奥行きを、もっと知りたい、と、今は思っている。