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五か月が経ち。

先週、オットが仕事で一週間家を空けていた。その間は義母もショートステイへ行っていたので、乳児とふたりきりで過ごした。その週の終わり、友人が出張で近くに来るついでにムスメの顔を見に来てくれた。彼女とは小・中・高と同じ学校で、無精者ですぐに音信不通になるワタシがなんとかかつての仲間たちとの友情を失わないでいられるのは、マメに連絡をくれたり、集まる場をつくってくれたり、そこでの話題を教えてくれる彼女のおかげだ。とは言え、結婚、出産とバタバタしていたので会うのはずいぶんひさしぶりだなぁ、いつぶりだっけ??と前回会ったときに撮った写真の日付を見てみたら、2014年の4月だった。おいおい、ほぼ2年前かよ。年を重ねると時の進み方が加速するよ、と、年上の友人が言っていたけれど、ほんとになぁ。


最近人見知り気味の乳児は、友人と顔を合わせて始めはやっぱりベソをかいていたけれど、徐々に距離感を詰めていって、抱っこされても泣かないところまでいった。始終、ぶしゅっとした顔をしていたけれど。乳児を間に挟みつつ、近況など話しながら、ふと友人がミルクの準備をするワタシの手元を見ながら、「そんなの、どこで教えてもらえるの!?」と声をあげた。それを聞いて、あー、ワタシもそんなこと思ったなぁーと、なつかしかった。今でこそ、そりゃもう何百回とやってますから、無意識に用意できるけど、ムスメが産まれたばかりの病院で、産んだ翌日から母子同室になって、そうか、これからぜんぶ自分が面倒見るんだ...と、超今更ながら当たり前のことにめちゃめちゃ不安になった。ワタシが出産・入院した病院は親切な所で、退院までの間に調乳指導や沐浴指導などがあり、母乳の出が悪いといえば助産師さんがかわるがわる様子を見てくれ冷やしたりしぼったりと、至れり尽くせりだった。


それでも、退院して家へ帰ってから、24時間子といっしょの生活は、わからないことの連続だった。窓から差し込む光の中で寝ている顔はマジで天使かと思うほどかわいいけど、泣き出すとビクッとするし、顔にぽつぽつができようものなら、ネットで付け焼刃の知識を仕入れて、あれこれ試して結果的にこじらせてみたり、泣きやまないなぁとあの手この手を尽くしているつもりが、母乳をあげたら一発で泣き止んで、自分は赤子のメッセージがわからないんじゃ、と落ち込んでみたり、疲れ果てて赤子を寝かしつけながら寝こけていたり、はじめての予防接種では前の晩から親の自分がド緊張してみたり...。


その日、別れたあとで友人が、「お母さん感も板についてたよ!!」とLINEをくれて、自分ではお母さんが板についているかはわからないけれど、これほど問答無用で習うより慣れろ!!な世界はなく、5ヶ月間の「実地訓練」でどうやら「お母さん」になったらしい。今では、赤子が多少泣いても鷹揚と構えていられるようになったし、授乳のリズムも整って、最近では離乳食も始めてどんな顔で食べるかが毎日楽しみだし、こうやって、文章を書く時間を捻出することだってできるようになった。


育児だけでなく、義母の介護もあるので、この五か月間、乳児のお世話と義母の介護とで一日が終わり、同じようなことの繰り返しでどんどん日にちが経っていく毎日に、自分も誰かにお世話されたいよーと心の中で叫んでいたのだけれど、オットと義母が留守で、友人が来てくれたことで一息つけて、この一週間が終わるころには来週の生協の宅配の注文をしながら、帰ってきたら何が食べたいかな、と考えている自分がいた。オトナ二人がいないと家の中はがらんと静かすぎて、この五か月でワタシが「お母さん」になっただけでなく、我々は「家族」になっていたんだなぁということも確認した。

 

 

 

 

 

無事産まれました。

前回の記事の日付をみたら、ほぼ3か月前だ。お腹はぱんちくりんでペンギンみたいな歩き方をして、足が浮腫むーなんて言っていたのが、遠い昔のようだ。

 

中のヒトは、予定日きっかりに無事産まれてきてくれた。陣痛から分娩までは、予想していたのより軽く200倍はたいへんだったけど、その果てにムスメと対面したときの気持ちは一生忘れないだろうし、ムスメを産んだことで、大袈裟なようだけど、自分が大昔からつながってきたDNAのひとつの鎖なんだっていうことが頭ではなく、身体にストンと入るように感じられて、また自分もその鎖をひとつ繋いだということの喜びは、ちょっと今までにはない感覚だった。

 

子が産まれてからの日々は、あっという間に一日が終わってしまって、あ、コレを書いておこう、と思ったことでもどんどんと出てくる用事に押し流されて、アレ、何かを考えていたんだけどなんだったっけ...というようなことも多く、なんというか、身体中の血液がミルクをつくることに集中して、頭はお留守になっているんではないかと思う。わたしは今、歩くミルクタンク。

 

それでも、憶えていたいことや考えを深めたいこと、人とシェアしたいと思うことは、日々の生活の中で目を向けたら次から次へと出てくるわけで、だいぶ後追いにはなると思うけれど、ここへ書きつけておこうと思う。

 

 

弱きもの。

ここにきて、足のむくみがヒドイ。36週までの検診では、毎回浮腫は-(マイナス)できていたのに、37週に入った途端、足首に肉の輪ができた。それから、足の甲は膨れ上がり、その先についている5本の指もぷっくり。な、なんだコレは、だれの足だ、と自分の足の変貌 っぷりに慄いてオットに見せると、「うちの父親が死ぬ前にそんなんなってた」だの、「末期癌患者の足みたい」だの、そういうことを言う。検診時に、あの、足のむくみがひどいん ですが、と相談してみるも、尿蛋白は-だし、とりあえず異常ではないとのことで、湯船につかることと、運動を勧められた。人生の諸先輩方曰く、温泉に入ったら一発だ!とのことだけど、ちょっと温泉には出掛けられないので、せっせとうちの湯船に浸かり、入りながらリンパマッサージをし、また、失眠へのお灸がいいというので毎日お灸を据え、寝るときには足を高くして寝ている。その甲斐あって、2,3日前までは象のようだった足も、今は子象の足ぐらいにはなった。


というわけで、臨月である。


正確には37週で、いよいよ正産期に入った。つまり、もう、いつ産まれてもいいですよ、ということだ。初産は遅れるからねェ、と、年配の方や経験者は判を押したようにみんな言うが、実際にはもういつ生まれても、一応お腹の中のヒトはこの外界で生きていけるわけで、友人の、予定日よりも2週間早く産まれました!という記事を昨日facebookで見たところだ。しかし妊娠するまで、36週までは早産といわれていて37週からを正産期と呼ぶ、なんてことはまったく知らなかった。知らなかったことはそれだけではない。妊娠してからの自分の身体の変化が劇的で、驚きの連続である。妊娠前は拳大しかない子宮が巨大化し、胃を押し上げ腎臓や膀胱を圧迫し、胸焼けするわオシッコは近くなるわ、リラキシンというホルモンが出るおかげで、あちこちの関節や靭帯がゆるゆるになるわ、そうして、身体だけじゃなく、妙に怒りっぽくなったり、悲観してみたり、わけもなく涙がぽろぽろ出てみたり、「産む」ということのためにこれだけの心身の機能が、自分にも知らずに備わっていたなんて、ちょっと感動する。ふだん、「自分」などと思っている自我なんて、ほんとにちっちゃくて、「自分」とさえ意識されない部分が、粛々と命を迎え、育む準備を整えてくれている、そう思うと、今まで「自分」と認識してこなかった「自分」に対して申し訳ないような気持ちと、「自分」に対する愛おしさと、もっというと、「自分」を越えたところにある、命に対する畏敬の念というものが、湧き上がってくる。


実を言うと、わたしは10代・20代前半と、自分の女性性とうまく折り合えないでいた。スポーツに打ち込んでいたこともあって、毎月やってくる月経に伴う不調はネガティブな意味しか持たなかったし、スポーツの場面だけでなくとも、自分の心身をコントロールできて、いつでも最大限の力を発揮できることに重きを置いていた。「弱さ」は文字通り弱点で、克服するべきもの、と思っていた。でも、お腹の中に命を授かって過ごしてきたこの10か月近く、身体の内側からのシグナルに耳を澄まし、小さな変化に一喜一憂するなかで、「弱さ」ということに対する感覚が、すっかり変わってしまったように思う。ひとつには、自分の身体が妊娠で一時的に不自由になることで、電車に乗ったり、買い物をしたりという、普段なんでもなくできていたことが恐かったり不便であったりして、自分自身が社会的な弱者であることを体験したこと、そして、くりかえしになるけれど、嵐のように変化する自分の気分や体調に注意しながら過ごす毎日が、これから産まれてくるふにゃふにゃの命に対して準備しているようで、「弱さ」は、乗り越えるものでもなく、ねじ伏せるものでもなく、それありきのもの、そこからこそ命が湧き出てくる源のように感じるようになった。


産まれてくる中のヒトも、女である。押し付けたくはないけれど、わたしのように屈折せずに、変化に富む女という性のおもしろみを思い切り味わってほしいなぁと思う。それにはまず、自分がそうしていないとね。今、自分の中のオンナが楽しい。

体重管理の話。

朝の散歩を始めて20日になる。仕事が休みに入った途端、わかりやすくドーン!ドーン!と増加していた体重も、ちょっと落ち着いている。妊娠初期、助産師さんがグラフを指し示しながら、「あなたの今の体重がココなので、だいたい平均ぐらいですね。トータルで10kg増以内に抑えましょうね!」と言われたときは、10kgぐらいなら、意外にいけるんちゃうん??などと思ったのは、アマアマだった。まずひとつめのトラップが、つわりが終わり安定期に入るころに仕掛けられている。わたしは、食べづわりに始まり、途中からは吐きづわりも加わって、つわりのフルコースを堪能させていただいたのだけれど、上記の助産師さんの目標数値を聴いたときも、「何か食べなきゃ...でも、何食べていいかわかんないよう」とべそをかいていた頃だったので、+10kgなんて、ラクショー、ぐらいに思っていたのだった。


ところが、である。つわりが終わったあと、鬼のような食欲がやってきました。「食べ物を食べることって、なんて素敵なことなんだろう!世の中にはなんておいしいものが溢れてるんだろう!」と、目に入るもの、目に入るものを食べたくなる。つわりのときには、食べ物を連想させるものを目に入れるだけでもイヤだったのに...。そして、仕事の通勤時間が往復2時間とたっぷりあるのもいけなかった。朝食をしっかり食べて出勤する電車で、「これから仕事だし、頭働かせなきゃ♪」とキットカットをバリバリ食べたり、仕事が終わったら終わったで、「帰ってからひと仕事あるし、腹が減っては戦はできぬ♪」と、駅ナカのベーカリーでドーナツを買って、帰りの電車でほおばってみたり。


それで、25週目の時点で、トータル8.6kg増。助産師さんにしぼられ、母子手帳には"体重維持を"と書き込まれる。以降、ちょっと気持ちが弱くなって間食してしまいそうなときや食欲がとまらないとき、25週目のところにカチッとした字で書かれてある"体重維持を"という文字を見るにつけ奮起してきたこの数か月。明日で臨月を迎えるのだけど、今の時点でトータル10.5kg増。すでに0.5kgオーバーしているけど、おおむね健闘しているであろう。


助産師さんにしぼられて以降、なかば意地になって取り組んできた体重管理のなかでわかったことは、身体はとても正直だということ。摂れば摂ったぶんだけ増えるし、そして、食べる量を減らすか運動を増やすかしなければ、体重が減ることはない、ということ。当たり前すぎるぐらい当たり前のことだけど、「これさえしていれば大丈夫!」みたいな特効薬はなくて、一日のうちでどれだけの量を食べたのか、ちょっと食べすぎたな、と思ったら晩のお茶碗の白ご飯を減らしてみたり、そういう微調整を、自分の身体をモニタリングしながら加えてやる。これまで、こんな風に自分の身体と丁寧に向き合ったきたことはなかったなぁと思う。どちらかといえば、身体にはムリさせて、ここぞ!っていうときにはジャンクフードや栄養ドリンクをガソリンがわりにぶち込んで無理に走らせて、廃人のようになって、その疲れも抜けないまま次の山がきて...という日常だった。そんな、刹那的なかあちゃんは、ちょっとイヤだものね。


あと一か月もすれば、家族が増えて、老人と赤ん坊のいる生活が始まる。おとといは、月に一度のケアマネさんを交えてのミーティングがあり、出産後にはちょっといつもとちがう態勢をとらないとね、ということであれこれ相談していたのだけど、結局、「産まれてみないことにはねぇ...」というところから、話は進まない。そりゃそうだ。世の中では、介護と育児のダブルバインド状態のことを、「ダブルケア」といって、新しい、そして今後増えていくであろう社会問題と位置づけているそうである。まさに渦中、だけど、悲観しすぎず、楽観しすぎず、自分たちなりにやっていけたらいいんじゃないかなァー、などと思っている。

盆に思うこと。

早朝の散歩はまだ続いている。今日は予報では雨だったので、寝る前に「明日は無理しないでいいかー」と、目覚ましも一時間ほど遅くかけていたのだけど、今朝きっかり5:20に目が覚めた。習慣の力はスゴイ。それと、妊娠も後期になると、身体が授乳に備えてぶつ切りの睡眠になってくる、らしい。そんな機能を学んだ覚えはないのに、身体は着々と準備してくれている。

 

毎日の散歩と、食後にマグラックスを飲んでいるのにもかかわらず、便秘はひどい。わたしの腸はどうなってしまったのか。お腹のなかで胎児が成長し、胎盤が、まわりにある小腸やら胃やら腎臓やらをぐいぐい押しのけて成長していく様子を映像化したものを拾い観たけど、まさに実感として、自分の体内がそんな風になっているな、と想像できる。それをオットに話したら、まぁ、ししゃもみたいなものだよね、と言われる。ワタシはししゃもか。


でも、便通以外は順調で、先週の定期検診では中のヒトの心音はとてもリズミカルで力強いとのことだし、内診で、ちょっと最近お腹が張ります、と言ってみたものの、これだけ子宮口が長ければちょっとやそっとのことでは大丈夫、お盆も遊びに行っていいよ、と太鼓判をいただいた。妊娠のわりと初期に、過去にぎっくり腰をやってしまったところが痛みだし、それの対策として「トコちゃんベルト」(うちでは通称トコベルと呼ばれている)をつけ始め、それからの数か月、朝も昼も夜も、風呂のとき以外はトコベルで締め上げてきた甲斐があったかな。


医者に太鼓判を押してもらったものの、世の中がお盆真っ只中でも、自営業のオットは納期間近で作業場兼自宅は殺伐としていたし、デイの日以外は義母もうちにいるし、わたしもわざわざ暑いときに人出の多いところへ出かけたくもないので、家の掃除をしたり本を読んだりして過ごしていた。それが、昨日の朝食時、仕事がひと段落したし、近くにある供養塔だけでも行っておこうか、という話になる。義母は、盆に行っても仏さんは家に帰ってはるから、お墓に行ってもいないんやで、などと言っていたから、出掛けるのにあまり乗り気じゃないのかな?と思っていたら、朝のヘルパーさんが帰ったあとで部屋を覗くと、きちんと外出着に着替えさせてもらっていた。準備万端じゃないか。


それで、車で10分ほどの供養塔のある寺へ行った。そのあとで、道も空いていそうだし、とお墓にも行くことにする。お墓には小一時間ほどで着いた。オットの家の墓参りはこれが初めて。家の墓とその隣には、オットの叔父にあたる人物のために、戦没者として国の建てた立派な墓石があった。政之丞(まさのじょう)さんというその叔父は、カメラマンとして従軍し、病にかかり、その手術の失敗で亡くなったらしい。そこまで難しい病気でもなく、本人も元気に帰ってこられることを疑っていなかった様子で、引っ越しの整理で出てきたという本人直筆の日記には、手術前日に「早く家に帰りたいなあ」と書かれてあった。


おとといの朝には、朝食を食べながら義母に、終戦の日ですね、というと、小学校4年生だった当時のことをはっきりと覚えてるわ、と、教室で玉音放送を聴いたときの様子を話してくれた。当時、各家庭にはまだラジオはなく、近所の大人も教室に集まっていて、高いところに据えてあるラジオを皆で仰ぎ見るように耳を傾けたらしい。放送が終わると、大人の男の人が、日本は戦争に敗けた、といって泣いた。


「戦争に行きたくないというのは利己主義だ」などと発言した若手の議員がいるそうだけど、そのレトリックこそ、軍部が国民を誤った方向へ導いていったものと変わらないじゃないか、とぞっとする。そんな風に言わせられている自分のことを、もっと心配したほうがいいんじゃないか、と思うけど、そんな回路はないんだろう。「戦争に行きたくない」というのは、ごくふつうの感覚だし、「はやく家に帰りたいなあ」というのだって、ごくふつうの感覚だ。生きていると、理不尽なこと、不条理なことはたくさんあるけど、それでも、戦争は避けられる人災だ。戦争で死ぬのはいやだなぁとか、はやく家に帰りたいなぁとか、そういう「当たり前のこと」を言える社会がこの先も続いていくように、身近なところから心地よい日常生活をつくっていくしかないなぁなどと思う、今年のお盆だった。

 

 

 

共通の話題

やっと、仕事が休みに入った。


この前病院に行ったときに助産師さんから、「あら、休みに入るのちょっと早いんじゃな い??」と言われたのだけど、たしかに、法律の定めでは「産前6週間」とあるから、それ よりは十日ほど早いことになる。ちょうど前期末試験が終わるタイミングだったので、 少し早めの産休、ということになったのだけど、正直、この酷暑なので、はやめに休みに 入ることができてありがたかった。産前6週間といったら、ちょうど今にあたるわけなん だけど、テキストやプリントではちきれそうに膨らんだ鞄を抱えて、弁当を持って、往復 2時間の距離を電車で通い、90分授業を2コマ、というのを今やれと言われたら、それ はしんどいわ、と思う。法律の定める期間には、ちゃんと意味があるのである。


休みに入ってからは、最低限の家事と引継ぎの連絡などの残った仕事をする以外は、うち でひたすらじっとしていた。23歳で働き始めてから、途中大学へ戻ったり、アルバイト生 活をしながら劇団の活動をしたりしてきたけど、つねに「仕事」というものはあって、そ の「仕事」がない、というのは初めての感覚で、「次の仕事のこと」を考えなくてもい いというのは、心底ほっとすると同時に、何か、自分が宙にぷらーんと浮いているよう な感じもする。でも、仕事のラストスパートで、思っている以上に心身疲れていたし、お 腹の中のヒトにも、ちょっとがんばってもらいすぎちゃったかな、という思いもあったの で、今は、この宙ぶらりんの時間を、人生でいちばんゆっくり過ごそう、と、昼日中から 布団に横になり、大きなお腹の下に座布団を挟んで、さなぎのようにじっとしていた。


それでも、2、3日もすれば、身体中にエネルギーが満ちてきて、何かしたくなってくる 。実際問題、通勤がよい運動になっていたのも事実で、少し休んだだけなのに体重がみる みる増加した。21週時の検診で、助産師さんに「体重管理を!」と戒められて以来、ち ょっと意地になってキープしてきたのに、増えるときにはドーンと増える。それで、3日 間のさなぎ期間ののち、おもむろに早朝の散歩を始めた。うちの玄関を出てすぐ、山の中へ入っていく自転車道があって、朝夕問わず、自転車はもちろん本気のラン ナーやウォーキングをする人が行き交う。さすがに、早朝の5時半にはそこまで人もいな いかな、と決行してみたら、早朝でも少なくて3人、多いときで5、6人の人と行き交う 。鮮やかなスポーツウェアに身を包んで軽快に走るひとや、両手にトレッキング用かなに かの杖をついて歩くひとに交じって、こちらは、オバQのようにてろん、としたワンピー ス一枚で、大きいお腹を突き出してぽてぽてと歩いていると場違い感があるのだけど、み んな、とおりすぎざまに、何かに納得するようなやさしい視線を投げかけてくれる。妊婦特権?


早朝の散歩は、今のところ三日坊主になることなく続いている(まだ6日目だけど)。そ のおかげか、ここにきて痛みの増していた腰痛もちょっと楽になった。でも、別の問題が 発生していて、仕事が休みに入ってから、便が出にくい。妊娠前は便秘知らずだったのだ けど、妊娠してすぐ、思うようにお通じがこなくなった。べつに、薬を飲まない主義でも なんでもないのだけど、もともと、お腹をすぐ冷やしてゆるくなることはよくある体質で 、便を軟らかくする薬の威力に、必要以上にびびって、ここまで、せっかく処方してもら った薬を使わずにきていた。あと1日出なかったら飲む、と言い続けて、いつもぎりぎりで出るのだけど、今回は、出ない。そこでついに、今日は薬を使用した。服用から5時間 、まだ便は出ない。オットは、そんなに即効性のある薬じゃないよ、と冷静な意見を述べ てくる。


便の話ついでだが、家の中に介護を必要する老人がいると、家族のなかで便の話題が増え る。無事に便は出たか、出なくなって何日目だ、そろそろマグミットを使うか、こーラックはまだやめておこう...こういった会話が日常会話になる。すべての在宅介護の家庭 でそうだというわけではないだろうけど、オットは実母の介護でも、直接的な下の世話以 外はぜんぶ参加しているので、そういう情報共有が行われる。そこへヘルパーさんやデイ の送迎の方たちとも、共通の話題は、便。それに加えて、妊婦のわたしの便の動向もいち いち報告され、もう少しすれば、新生児の便の話題も加わるだろう。女三世代(お腹の中のヒトは女の子)の便の話を聴かされるオットは、どんな心境なんだろう。

 

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写真は、今朝の早朝散歩時の空。

 

 

「塵のようなもの」

週一の更新を目指すと言いながら、早速3週間もあいだが空いてしまいました。こ
の期間にもいろいろあり、気がつけば妊娠も8か月目に入り、いよいよ身体も重た
く、通勤時の駅構内はキョーフ以外のなにものでもなくなってきました。それから
、昨年の秋にパートナーのハハが倒れ、妊娠がわかり、引っ越しがあり、在宅介護
が始まり...というバタバタの中で、はなから式を挙げる予定はかったものの、籍は入れようかと話していたのがのびのびになっていたのを、やっと籍も入れました。


そうしたら、籍を入れた途端に、いままで喧嘩らしい喧嘩をしてこなかったパート
ナーと険悪になる、ということがありました。もともとは、わたしの中にあった一
点の染みが、放置しているうちにほかのアレもコレも招き寄せ、気がついたときに
は無視できないぐらいに、あちこち傷んで、ボロボロになってしまっていたのでし
た。


いつも仕事の日は、帰宅したらすぐに食事の支度にとりかかり、食事のあとは、後片付けやほかの家事をして、21時にハハのパッドを交 換するというのが、4月からずっと続けていることなのですが、その日は仕事から帰ってきたあと、どうしても動くことができず、頭では、そろそろ準備を始めな いと、と思っているのだけど動けない。そうこうしているうちに、ハハの手元には 、何かあればいつでも押せるよう呼び出しボタンがあるのだけど、その呼び出し音 が鳴る。キッチンはハハの居室のすぐ隣になっていて、ハハは、夕飯どきが近づい てキッチンの明かりがついていないと不安になるらしく、だいたいそのタイミング で呼び出し音が鳴ることが多いのだけど、このときは、その呼び出し音がきっかけ となって、わたしの中の、張っていたものがふつりと切れて、おいおいと泣き出し てしまいました。


その日は月曜日で、毎週日曜には豆カレーをつくるのが定番になっており、わたし
が、おいおい泣き出して動けなくなってしまったので、パートナーはとりあえず、
ハハのぶんのカレーを温めて出してきてくれ、そのあとで、二人でゆっくり話をし
ました。泣きに泣いて、話をしているうち、少し落ち着いたらお腹が減ったので、
今からつくるんじゃしんどいでしょ、といって、二人でラーメンを食べに行き、帰
ってきてからまた話の続きをしました。


身体が思うように動かなくなって、これまで普通にできていた動作や仕事がしんどいこと、それでも、ただでさえわたしの体調を気遣って、わたしが介助することを申し訳ながるお義母さんの前では平気な様子をしているのにも、けっこう神経を使うこと、うちにヘルパーさんや、パートナーの仕事の手伝いの人が出入りするなかで、オンとオフの切り替えがうまくできずに、つらくなってしまっていたこと、それでも、自分のことは自分でやらなければ、と思い込んでいたこと...口に出せば、あとからあとから出てきたけれど、ひとつひとつは、渦中にいると、「こんなことぐらいで...」と、自分で引っ込めてしまうような、そんな「塵のようなもの」が積もり積もって、苦しくなってしまっていたのでした。

 

ひととおり話を聴いていたパートナーが、ぽそりと、「...いわゆる介護疲れじゃん」と言うのを聴いて、わたしも、もう出すもんもないぐらい泣いたあと、冷静になった頭で、そうだな、と思いました。わたしは仕事で介護をしていたこともあり、またパートナーも、父親を介護して看取っているので、ふたりとも、抱え込むことはよくないと知っているはずなのに、いくら知識としてあっても、介護が日常になると、ついつい、自分が抱くちょっとしたストレスや心の動きを、「塵のようなもの」と、自分で軽く見てしまい、知らずにそれが降り積もっていってしまう。しばらく前から、介護疲れが原因の事件などもよく聞くようになって、そのたびに、「なんでそうなる前に相談できなかったんだ」と言われることがあるけれど、渦中の人は、ほんとうに、追いつめられるまで気がつけないようなことが、あるのだと想像します。


介護とはちがうけど、わたしが好きな田房永子さんが、『ママだって人間』のなかで、赤ちゃんが産まれたあと、自分がそれまでの自分ではなく、「マリオネット」になったみたいだ、という様子を描かれていて、赤ちゃんから離れたくないんじゃなくて、離れ方が分かんなくなるだけ、だから、パートナーやまわりには、グイグイ入ってきてくれないと困る、入ってきてくれると助かる、ということを言っていて、これと同じことは、介護の現場でもそうだなぁ、と。


自分がそのときにどっぷりと浸かっている日常から、ムリにでも引き剥がして、ちょっと、息吸ってこい!というような介入が、どれだけ救われるか。「ちゃんと必要な助けを求めましょう」ということも一理はあるんだけど、そういう回路が開かなくなってしまう状況があるんだ、ということも、「当たり前」のこととして語られてほしい。


わたしは、ひさしぶりにパートナーと外で二人で、ちょっとジャンキーなラーメンなんかを食べられたことが気分転換になって、次の日からは憑き物が落ちたようでした。「それぐらいのこと」が、とっても救いになる。それがちょうど一週間ほど前の話で、そして、話してみてわかったのは、パートナーも、かなり息が詰まる想いをしていたこと。それで、今日はちょっと息抜きしてきなよ、とぶらりと出かけていきました。わたしはわたしで、来月からは仕事も休みに入り、巣籠りに入るので、うちで過ごす環境をあれこれ整えたりして過ごしています。ひとのお世話をしながら見えてくるのは、自分の、自分に対する取扱い方だったりして、自分のトリセツをつくるような気持ちで、文章を書いています。


さて、今日は日曜日なので、豆カレーをつくるぞ。