カレーに祈りを。

 
2月の或る日曜日、友人夫妻の出店するマルシェへ行ってきた。

 

 

…今、「マルシェ」なんて何気なく使ったけど、いまだに、 この手の言葉を使うのには少しのこそばゆさがある。エ、 そんなの、フツーに使われてるじゃん、 と言われればその通りなのだけど、 少なくともワタシがこの言葉を初めて知ったのは5年前ぐらいのことで、当時裏方として出入りしていた劇団で「 今度稽古場でマルシェをしよう!」 という企画が持ち上がったときに、「マル...え、なんて?」 とまったくピンとこなかったことを覚えている。そのとき後で調べて、マルシェっていうのはフランス語で「市場」 って意味らしいと知り、そうか、市を開くのか、 それならなんとなくわかるぞ、という、21世紀ニッポンを生きる 20代女子らしからぬ納得の仕方をしたのだった(でも、実際に「 市」ってことだって、ワタシはろくに知らない)。

 

 

そういう面倒くさい、 誰向けへかわからない屁理屈のような思考を前置きにしてやっと「 マルシェ」と口に出しているので、言葉にしていても常に、 ワタシの中ではかぎかっこつきで発声しているのである。聞いている人にはそんなことわからないだろうけれど。

 

 

これだけ屁理屈をこねといてなんだが、その日の「マルシェ」を、 ワタシはとってもとっても楽しみにしていたのだ。結婚して、 山の中へ引っ越して、義母の介護を始めて以来、 なかなかひょいと外に出ることがむずかしくなった。 娘が産まれてからは、それがさらにむずかしくなった。 それまで顔を出していた数少ない集まりにまったく行けなくなり、 年賀状で生存確認をするようなここ二年であった(それも、 ごく一部の人々と)。今年の年明け早々には、20年来の友人の結婚式があり、 これはどうしても出席したいと何カ月も前からオットと相談してい たのだが、それも結局行かれなかった。ぎりぎりまで迷ったが、 在宅介護に一歳児のお世話に、 会場が新幹線で3時間かかる遠方であること、 そしてこれが一番大きいのだけれど、 妊娠7カ月というファクターまで加わったので、 大事をとって泣く泣くキャンセルしたのであった。

 

 

そこへ、 ふだんは我が家よりもさらに山深くに住んでいる友人夫婦が、うちから車で10分のビルで行われる「マルシェ」へ出店するという。 これはもうぜったいぜったいぜったい行きたい、と、 その日を指折り数えながら、 なんとかその日に外に出られるように算段を立てた。 子育て中のお母さんたちのほとんどが苦労していることだと思うが 、まずは「その日のご飯をどうするか」問題。友人の出店する「 マルシェ」へは、 オットも子どもも一緒に連れだって行こうと考えていたが、 外食はうちの野性味溢れる一歳児にはまだ不可能、 帰って来てすぐに温めて食べられるもの、というと、 ベストアンサーは、カレー、だ。

 

 

我が家の一歳児は歯が生えてくるのが早かったのと、 ワタシが楽をしたかったので、 一歳前後からほぼオトナたちと同じ食事をしているのだけど、 カレーも、 ルーだけは子ども向けのものを使うだけで喜んで食べてくれる。「 これだけは食べてくれる」というメニューがあることは、 どれだけ助かることか。そこまでには、 これならどうかと試行錯誤してはゴミ箱行きかワタシの脂肪になっ た離乳食の数々があったのだよ…と、 この話はしようと思えばまた長くなるのでここではこれぐらいにしておく。

 

 

とにかく、帰ってからすぐに食べられるようにと、 前日からカレーを仕込んでおいた。

 

 

しかし、問題は、「不確定要素」の方である。前日まで、 会場までの道順と駐車場を確認し、 友人にオムツ交換できる場所はあるのかを聞き、日々更新される「 マルシェ」 のサイトの写真を見ながら会場内の移動は抱っこかベビーカーかを検討し...と、そこまでしてもなお、前日、いや、 当日になっても、「ほんとにいけるのか!?」 とどぎまぎしていた。

 

 

これも、子育て中のお母さんには共感してもらえると思うが、 まずは子どもの体調である。子どもというものは、 まったく突然に熱を出したりするものである。 その場合はまァしかたがないな、という覚悟を、 お母さんたちはいつでも持ってる。そしてそれに加えて、 義母の体調である。在宅介護もそろそろ丸二年になろうか、というところだが、その間、ヘルパーとデイとケアマネと連携して、 義母の規則正しい生活リズムをつくってきたおかげで、義母の排泄のリズムは退院当初よりもかなり安定していて、「 不意に介護が必要になる」という状況はかなり少なくなってきた。それでもやっぱり、「絶対」 といえることはないので、何かあったときのために、義母の在宅時はワタシも必然的に家にいることになる。だかからこそなかなか外へ出られなかったのだが、最近の様子だったら2時間ぐらいだったらいけるんじゃないかという見込みで、この日の「 マルシェ」行きを計画したのだった。

 

でも、やはり、しかし、である。どこかで、「やっぱりね!」 と予期していたところもあったような気もするけれど、 この日の早朝、ワタシが朝食準備をしている最中、 しんと静まり帰った家の中でチャ~ララ~ララ~ラ~ラ~ラ~♪ というメロディが響き渡った。これは、 義母の手元にあるボタンを押すと台所とオットの作業場に置いてあ る受信機で信号を受信してメロディが鳴る仕組みで、緊急に用事のときにいつでも鳴らせるようにと、在宅介護開始当初から設置してあるものだ。最近は出番が減っていたとはいえ、これが鳴ると「ホイきた、 なんだなんだ!」と、途端に自分の頭がハプニングへの対処モードに切り替わる。この朝も、「今日にかぎって…」とか思うよりも先に「ハイハイ! 」と身体が動いて義母の居室へ向かった。 在宅介護の日常というのは、 こういうことへの備えがいつでもあるという状態が「常」 になることである、と言えるかもしれない。

 

 

義母の居室へ行って便失禁の片づけをしつつ、 今度は一歳児の起きてきた気配がしたのでそちらはオットに頼んで 、まだ出るかもしれないという義母をポータブルトイレへ座らせ、 途中だった朝食の支度を整えオットと一歳児には先に食べててもら う。 自分もぱぱっと納豆ご飯と味噌汁をかきこんでから再び義母の居室へ行き、 義母をポータブルトイレからベッドへ移乗し新しいパッドをし直す 。そうこうしているうちに朝のヘルパーの来る時間になったので、 朝の様子を伝えて、 いつものように清拭や身支度を整えてもらうようお願いする。

 

 

この時点で、朝の8時。11時開始のマルシェに行くには10時半に家を出たい。幸い一歳児は元気そのものだ。まだじゅうぶん時間がある、 という計算をして、今度は一歳児がEテレを観ているあいだに自分の身支度を整える。それが済むと、一歳児を着替えさせて、 それからもし「マルシェ」で何か食べることになったり、 帰って来るのに時間がかかった場合に備えて一歳児用と義母の賄い用にしらすのおにぎりをにぎる。そしてデカいリュックサックに、 おむつと着替えとウェットティッシュに、 タオルや飲み物やしらすのおにぎりやらを詰め込んで、 義母のベッドのテーブルにふせんのメモつきのおにぎりを置いて、 準備は整った!

 

 

外に出てみると、 前日まで雪が降るかもしれないという予報だった天気(これも、「 不確定要素」のひとつ)は、青い青い空で、キラキラしていた。 なんというか、何日も前から家を出られるように準備をして、 前日に「不意のこと」 が起きないように祈りをこめながらカレーを煮込み、 当日もやっぱりフル回転、を経ての青空が、うれしい。 今の生活になってから、「何気ないこと」 のありがたみが身に染みるばかりで、天気がいいとか、 散歩中にきれいな花があったとか、 そういうことが自分で驚くぐらいうれしかったりする。 全身でワクワクしながら「マルシェ」へ向かってみたら、 さらにうれしいことに、この日ひさしぶりにワタシが「シャバ」 に出てくるというので、 出店する友人夫婦以外にも友人たちが集まってきてくれていて、 顔の筋肉が痛くなるぐらいニコニコしてしまった。

 

 

「人と人が顔を合わせて、話ができるって、 それだけでキセキみたいなことなんだよ!」 と誰彼かまわずつかまえて訴えたいような気分に駆られたが、 さすがに自制したかわりに、ここに書いておく。

 

 

結局、出先で食べずに持って帰ったしらすおにぎりに、カレーをかけて食べたらおいしかった。