大晦日。

暮れも差し迫った12月28日、一歳児のMRワクチンの予防接種へ朝イチで行ってきた。


今年の夏の終わりごろからの麻疹の流行のおかげでワクチンが品薄になり、いつも受診している大きな病院ではいつ問い合わせても「ありません、いつ入荷するかも未定です。」の返事。かれこれ、まだ暑さも残る季節のころからずっとそんなやりとりを繰り返し、まだかなまだかな、と気を揉みながら暮らしていたのだが、ここにきてふと、オットが今までに当たってこなかった個人病院を当たってみたら、「あるみたいだよ」と…。控えてもらったリストのいちばんめの病院へさっそく電話をしてみたら、ありますよ、と。「え、あの、明日でも受けられますか」「はい、大丈夫ですよ」「明日でお願いします!」と、やっとワクチンがあった安堵と年内には済ませておきたいという勢いで食い気味に予約をしたためヘルパーの調整などは間に合わず、当日は朝イチでオット運転・家族総出で一歳児の予防接種へ付き添うことになった(ワタシが現在妊婦で運転できないうえに義母をひとりで置いていけない、ので)。しかも、家からは少し離れたところにある病院で、9時の予約にまちがいなく間に合うためには家を7:45には出たい。と、なると、朝食はいつもより30分早めて6:30からだから明日は5:50分起きだな…と、病院との電話を終えた時点で頭の中で明朝のシュミレーションが始まる。翌日、予定通りに一歳児と義母と自分の身支度を済ませ手筈通りに家を出られ、ちょっとした達成感がある。


こうしてやっと接種できたMRワクチンであるが、絶叫のなか接種が終わりクスンクスンしている一歳児をなだめつつ診察室のベッドで衣服を整えながら、カルテを書いている医者の背中へ向かって、「近くの病院だとどこもないと言われて、ずっと探してたんですよ~」と言ってみたら、「エ?開業医のとこでは10月から一歳児のぶんはありましよ!」とものすごく爽やかにハキハキと言われてしまった。え、そうなの?役所へ行ったときに、「大きな病院(ふだん我が家がお世話になっている病院)でなかったら、他でもないですよ」と言われたのを鵜呑みにしてたよ…なんでも、自分の目と耳と足で確かめなアカン。


というわけで年末である。
親として反省するところは大いにあったものの、ずっと気がかりだった予防接種を年内に済ませられたことだし、年賀状もたった十数枚だけど出したし、大掃除もしてないしおせちだってつくってないけど、もう気分は今年をふりかえるモードなのである。今年も残り少なくなってくると、一年前は、とか、二年前は、とか思い出す機会が増えるわけだが、そのたびに、家族が皆健康でこうやってなんでもなく過ごせていることが、大げさでなく信じられないことのように思う。二年前の段階では、まだ義母は入院中で、ワタシの妊娠もわかっておらず、こういう風景は描けていなかった。


病気やら事故やら、または災害などというものは、当事者にとってはもちろん、その家族や繋がっている人たちにとっても、それまでの日常が断ち切られる経験で、ワタシにとってのここ二年ぐらいは、日常性の回復を必死にやってきた感じだ。回復、というよりも、籍を入れたり、在宅介護を始めたり、子どもができたり産んだり、の二年間だったので、ワタシにとっての「家族の日常」を、試行錯誤しながら、コツコツ、コツコツと作ってきた、といったほうがいいだろう。


義母が脳出血で倒れる、という非日常(正確には倒れた当初はまだ籍を入れていなかったので「義母」ではなかったけど)から、在宅介護という日常へ、そして、妊娠・出産という、これもまた人生のなかでは非日常性のある経験から、育児という終わりなき日常へ。自分の人生に起きた大きなできごとを、あっちに転がし、こっちに転がし、何とか扱えるようにでこぼこを慣らし、毎日息を整えて暮らせるようにする。そういうことを一日、一日、とやってきた。


話は急に変わるが、先日、二人目を産んだ友人とLINEでやりとりをしていて、こんなことを言われた。

「○○ちゃん(ワタシの本名)は自分なんかよりもっと大変な想いをしてるんだから、こんなことでへこたれてちゃダメだって、そういうときいつも思い出すんだよ!」

これを受けて、そのときは咄嗟に、イヤイヤそんなえらいもんじゃないよ、と返したけど、あとに複雑な気分が残った。この会話の前に、友人は毎週末遊びにきては上の子にお菓子を大量に与える義両親に手を焼いているという前段があって、それを別の友人に話すと、「ありえない!月1でもやだし!うちなんか会わせてないよ!」という返事があった、というやりとりなどがあり、そこへの、「もっと大変な想いをしている」ワタシの登場だったわけだ。この友人に悪気はなくて、ワタシの存在を励みにしてる!と言ってくれているだけなのは分るんだが、あ、そんな「ありえないコト」なのか、と、自分の日常にいきなり「ありえない」の光を当てられて戸惑ったのだ。


もちろん、大変じゃない、とは言わないし、「在宅介護も悪くないよ♪」などと気軽にはとてもオススメもできないし、しないで済むのなら育児、特に子どもが乳児のうちからの介護なんてない方がいいと、ワタシも思っている。ワタシ自身使命感に駆られているわけでも高い理想を持っているわけでもなく、そのとき付き合っていた相手の母親が脳出血で倒れて、じゃあ助け合おうか、という成り行きになっただけで、身近に起きた難局を乗り切ることに必死になっただけだった。


実際に急場をなんとか凌いで生活を始めてみれば、介護以前に、友人も困っているようないわゆる「姑問題」みたいなものはあって、自分の食べている甘い菓子を一歳児に与えようとしたり、家のなかで靴下を履かせてなかったら寒くはないのかと一日に何度も聞かれたりする。義母は脳出血の後遺症で記憶障害があり、医師からは症状としては軽度の認知症と同じようなもの、と説明を受けているのだけれど、何度、大人と同じような甘いものはまだあげてないんですよー、とか、暖房つけてるし、赤ちゃんは足で体温調節するらしいんで、靴下履かせてないんですよー、と繰り返し説明しても、やっぱりお菓子をあげたかったり寒くはないかと心配をするのは、病気からくる症状というよりは、「祖母」というものの習性な気がする。


介護、というと、それだけで何か、重たく暗く、つらい響きをそこに聞きとってしまうけれど、実際の当事者としてじゃあ今何がしんどいですか、と問われれば、今挙げたような、言ってみればどこにでもあるような「嫁・姑問題」であったりして、例えば介護と聞いて誰もが想像するだろう排泄介助などは、そういうもん、といったん肚をくくってしまえば、あとは如何に手早く処理するか、という風に切り替えられたりもするもので、それほどイヤなものでもない。


先ほどから何をこねくりまわしているのかといえば、友人の言葉の何が自分に引っ掛かったのかを考えているわけだが、友人が「大変な想い」と言うときのその中身は、友人が「介護」と聞いて思い浮かべるイメージに対して言っているもので、それ、うちのことじゃないよね、ということだ。実際、どんな風に過ごしているかを細かく話したことないし。


これは何かに似ているな、と考えていて思い当たったのは、「障害は不便ではあるけれど、不幸ではない」という言葉。今まで、こういう言葉を聞いても、その言葉の内側から理解するようなことはなかったけれど、今はちがう。そう、不幸じゃないんだよ、不便、ではあるけれど!と、全力で同意する。


「介護」というと、老老介護の挙げ句の介護殺人、などというのがメディアでは話題になりやすく、認知症というと高齢者の無茶な運転とすぐに結びつけられたりする。でも、ひとくちに「介護」といっても、その中身はいろいろで、介護される人の人生があり、介護する人の人生があり、それを周りで支える人たちの人生がある。それは、「ありえない!」と遠ざけてしまえば知ることない、触れることのない世界で、そんな日常が進行していることは、関係のない人にはそれは関係ないのだけれど、でも、誰かと繋がらなければ文字通り生きていけない、という位置に立ってみて、ほんとうは誰もが程度の差はあれ繋がりのなかで生きていて、自分ひとりで生きてきたみたいな顔してたワタシ自身が、どんだけの人の支えがあって今生きてられるのかってことを感じる日々で、そのおかげで毎日のちょっとしたこと、今日の味噌汁は絶妙、とか、一歳児が笑ったとか、夕飯から風呂までの流れが今日はカンペキ!とか、そういう小さなことから喜びを感じられるようになったということがあって、少なくともワタシ自身は、そう悪くないと思ってんだなぁということを、この文章を書きながら気がついた。


繰り返すが、友人に悪気はなく、もしかしたらそれを聴くワタシの方が、無意識に「介護」という言葉の引き連れてくるイメージに縛られていたところがあるかもしれなく、一度、「ありえない!」と光を当てられて目が覚めた、というか、いや、そうでもないよ??と。


育児も介護も、自分の人生の一部。来年も、この日常のうえに何を足していけるのかが、今は楽しみになってきた。


みなさん、どうぞ良いお年を。