上半期終了。

今日で2014年の上半期が終了。

ということで、夏越しの大祓に、近所の神社に挨拶にいってきました。

 

住んでいるアパートから徒歩10分ほどのところにある、小ぢんまりとした神社へ、夕方涼しくなってからぷらぷらと行ってきたのですが、その帰り道、よく小麦色に日焼けした少女が自転車に乗ってわたしの脇をすり抜けていきました。が、その顔に見覚えがある。わたしがコンビニバイト時代に、よく姉弟でお客さんとして来ていた子でした。

 

大学院の博士後期課程へ進んだのにも関わらず、その二年目に、小演劇の世界にどっぷりハマり、都合3年間裏方をやっていて、大学院はその途中で単位取得退学、コンビニアルバイトと家庭教師で生計をたてながら芝居をやってました。当時の日記などを見ると、「時給850円からのスタート!」と、自分の置かれた状況をこれから始まるサクセスストーリーの序章と見なして励ましてる文が書きつけてあったりするのですが、そんな余計な告白はいいとして、今日の少女は、その時代のお客さんでした。

 

劇団を辞め、介護職を経て、今は非常勤と介護と家庭教師のかけもちで生計を立てている身で、当時と比べて暮らしぶりは多少は上向いたけど、あいかわらずのビンボー生活。今が、サクセスストーリーの第二章あたりだったらよいのだけど...

 

またまた妄想は置いといて。今も、当時劇団員とルームシェアしていた(といえば聞こえはいいけど、わたしが転がりこんでた)アパートに住み続けていて、あんまりパッとはしないながらも、好きなことの近くで仕事をし、書きたいものを書く生活ができている。とにかく、その日を生きるのに必死で、自分がどれだけ進んでいるのか、もしくは後退しているのか、なんて、はかる余裕もなかったけれど、今日、あの少女を見かけてコンビニバイト当時の空気感などがありありと蘇って、期せずして当時の自分に現状報告をしたような心持ちになったのでした。

 

たまにはぷらっと、神社にでも出かけてみるものだね。

 

わたしは、特に信心深い、というわけでもないのだけれど、25、6歳のとき、ちょっとしんどいことがあったときに、ものすごく力になってくれた人の影響で、こういう季節の行事などに、少し心配りをするようになりました。それまでは、風水とかに対しては距離をとっていたのだけど、人生でほんとうに困難なこと、自分の考えや努力ではどうにもならないようなことが起きたときに、頼りになるのは理屈云々ではなく、まさに「困ったときの神頼み」なのかもしれない。気休め、と思いつつも、気休めは偉大で、例えば風水でピンク色がいい!とあれば、ピンク色のものを身につけてみたり、吉方位へ移動してみたり、その日のラッキーフードを食べてみたり...文字にしたらアホらしいかもしれないけど、そんなことでほんとうに救われるときというのが、あるのだ。少なくとも、わたしにはあった。「風水?(笑)」みたいに、どちらかといえば多少、冷笑するようなところがあった、わたしが。

 

「神頼み」の最大の効用は、根拠もなにもないものを、実直に遂行していることの、可笑しみ、にあるのだと思う。それに、祈願とか掃除とか吉方位とかに出かける、とかやっていると、こまごまと動くことになる。人が、その生命力が希薄になるくらいの出来事に出くわすと、不活発になり、こまごまと動く、ということがとても億劫になる。動かないから余計に、不穏な気が溜まって、どんどんと内側から淀んでいく。風水や、昔ながらの行事や信仰というのは、停滞しがちな気を掻きまわすための装置としての効用を持っている。

 

その効用のおかげで命拾いして以来、今に至るまで、自分の預かり知らぬもの、自分のコントロール外にあるものに自分の一部を預けてしまうような通気口を持っておくことにしている。ともすれば、暗い淵へと沈み込んでしまうところを、いやでも明るくならざるえないような方法をもっておくと、思いもよらない方向から救われたりする。

 

今日は神社で、2014年の上半期を無事に過ごせたことのお礼と、他力本願全開な頼みごとをしてきた。昨日、今日と、不穏なニュースで世の中騒然となっているなか、自分本位なことばかり考えてるなー、という想いもあったけれど、世の中がどう変わろうとも、自分のなかの、人の幸の軸をもっておく、というのも、大事なことだとは思う。

 

 

 

 

「論壇時評」に寄せて

今日は、楽しみにしている、作家の高橋源一郎さんによる「論壇時評」の掲載日だ。「論壇時評」は、高橋さんが月に一度、朝日新聞に寄稿している連載だ。記事はコチラ→http://digital.asahi.com/articles/DA3S11209602.html?_requesturl=articles%2FDA3S11209602.htmlamp 朝日新聞デジタルで会員登録していたら無料で読めるのだけど、良記事をせっかくシェアしようと思っても、シェアした先でいざ記事を閲覧しようと思うと、例の、この先はログインして、というメッセージが出てくるのはわずらわしい。アレ、どうにかなんないものなのかな?(それとも、最近はそんなことないのカシラ。)

 

いきなり些末なところから始めてしまったけれど。そのわずらわしさをとっぱらうために、多少煩雑にはなるけど、なるだけ元記事を引用しながら、記事を受けて考えたことを書きつけておこうと思う。

 

 

今回の高橋さんの時評のタイトルは、<「アナ雪」と天皇制 ありのままではダメですか>というものだ。内容はというと、冒頭でまず、中森明夫氏によって「アナ雪」について書かれた文章の中で次の部分を引用している。

 

「あらゆる女性の内にエルサとアナは共存している。雪の女王とは何か?自らの能力を制御なく発揮する女のことだ。幼い頃、思いきり能力を発揮した女たちは、ある日、『そんなことは女の子らしくないからやめなさい』と禁止される。傷ついた彼女らは自らの能力(=魔法)を封印して、凡庸な少女アナとして生きるしかない。王子様を待つことだけを強いられる」

 

実は、わたしはまだ「アナ雪」を観ていないので、この部分を読んで、「へぇ、アナ雪って、そんな話なんだ~」という地点にいるわけなのだけれど、ただ、「アナ雪」の熱狂的な迎えられ方と、それを賛美する論調から、なんとなく「そのあたり」のことに触れた映画なのだろうなぁ、という見当はつけていた。もうすぐDVDが発売されるので、観るのを楽しみにしている。

 

 

話がそれた。

 

 

上で引用した文章のあと、書き手の中森氏は、実在する「雪の女王」として、「雅子妃殿下」のことを思い出す、と続けているという。雅子妃殿下が、職業的能力を封じられ、男子の世継ぎを産むことばかりを期待され、やがて心労で閉じ籠ることになってしまったことを指摘し、「皇太子妃が『ありのまま』生きられないような場所に未来があるとは思えない」と、その文章は結ばれているそうだ。高橋さんによれば、この中森氏の原稿は、依頼主である「中央公論」からは掲載を拒否されたとのこと。理由は定かでないそうだ。

 

この話を枕に、高橋さんは次に、最近出版されたという、戦後社会と民主主義について深く検討する本を話題にしている。その本とは、上野千鶴子の『上野千鶴子の選憲論』と赤坂真理の『愛と暴力の戦後とその後』だ。この二人の著書の中から文章を引用したあとで、高橋さんは次のように書いている。

 

 

この二つの本からは、同じ視線が感じられる。それは、制度に内在している非人間的なものへの強い憤りと、ささやかな「声」を聞きとろうとする熱意だ。制度の是非を論じることはたやすい。けれども、彼女たちは、その中にあって呻吟(しんぎん)している「弱い」個人の内側に耳を傾ける。それは、彼女たちが、男性優位の(女性であるという理由だけで、卑劣なヤジを浴びせかけられる)この社会で、弱者の側に立たされていたからに他ならない。彼女たちは知っているのだ。誰かの自由を犠牲にして、自分たちだけが自由になることはできないと。

 

 

雅子妃殿下に「雪の女王」を見る中森氏の直観と、二人の女性の制度内にある非人間的なものへの強い憤りとは、同じところを向いている。「日の丸」や「天皇」について何か言おうとすれば、すぐにヒステリックになったり、面倒事は御免だと遠ざけられたりする状況のあるこの社会の中で、一定の発言力のある人たちがそこへ眼差しを向けているのは、偶然ではないだろう。「人間」を「象徴」というよくわからないものにしてしまって、その内側からは声なき悲鳴が聴こえる。そのようなことに蓋をしながら、素知らぬ顔をして過ごしているかぎりは、この社会に民主主義の風が行き届くことはないということを、彼らは訴えている。

 

高橋さんは、この文章の最後には、現在、雑誌「群像」で連載中という、原武史氏の「皇后考」について触れている。その論考のなかでは、現在の「男性優位」の思想に基づく天皇制は、たかだかここ百数十年の歴史しかなく、古代天皇制では、「女性優位」ともいうべき思想だ底流として流れていたことが指摘されているという。そのことを書いたあとで、高橋さんはこのように言っている。

 

「男系男子」のみを皇位継承者とする「皇室典範」の思想は、「男性優位」社会のあり方に照応している。だが、その思想も、人工的に作られたものにすぎない。人工的に作られたものは変えることができるのだ。どのような制度も、また。

 

 

引用と要約でほぼページを埋め尽くしてしまったけれど、ここには、これまで、表立っては声に出されなかったけれど、この社会を考えるうえで非常に大事なことが書かれてあると、わたしは思う。当事者以外は、普段、「そういうもの」と思って、意識にさえ昇らないようなことに注意を向けてみると、意識に昇らない、という形でその制度なり思想なりに肩入れしている自分のあり方が浮かび上がる。無意識、というものはその名のとおり、人の意識の預かり知らないところで、その実、当人の思考や言動を決定づけてしまっていて、今回の都議会での発言にしても、それが、「深い考えから発されたこと」ではないからこそ、余計に厄介なのだ。一人の議員の口から、この社会が抱える幼稚さという病魔がごろりと吐き出されたといっても、大げさではないだろう。人工的に作られたものは変えることができる。自分自身の中に巣食う、思考という習慣も。

劇的な出会い

劇的な、本との出会い、というものがある。

 

昨日は午前は非常勤講師、夜は家庭教師というダブルヘッダーの日で、午前の仕事を終えていったん家に帰り、簡単な昼食を済ませたあとで、仕事の道具とタブレットを持って、少し早目に家を出た。この夏に書こうと思っている文章のペースが、予定していたよりも遅れていて、どうにか今日中には構想をまとめたい、と、仕事の前にカフェで格闘するつもりだった。

 

さっき帰って来た道を今度は逆にたどって駅に向かう。いつも前を通る駅前の小さな書店の店先では、今日も古本のワゴンセールをやっている。その中の一冊に、目が吸い寄せられた。その本は、5年前に、四半世紀を過ごした関東を離れ、関西へ来るきっかけになった本のなかで、何度も引用されていた本だった。いつかは読まなきゃ、と思いつつ、記憶の片隅で埃をかぶったままになっていたのが、昨日、ワゴンの中でその本だけ光を放っているように見えた。実際、他の本は背表紙を上に向けて並べられているのに対して、その本は表紙が通りに見えるようにワゴンの縁に立てかけてあったので、書店員さんも価値ある本と、推していたのだろう。とにかく、その本と「目が合った」ように感じてしまい、思わず手に取り、購入した。

 

読み始めると、なぜこの本にもっと早くに出会わなかったのか、というくらい、読みながらこれまでの思考が一つに繋がっていくような感覚を覚える。ただ、なぜ今まで出会わなかったのか、というのは、まだ読む時機ではなかったのだろう、とも思う。今だからこそ、読む用意がある、というときに、必要な本は向こうからやってくる。さらに驚いたのは、読み進めていくと、思いがけなく、この夏にまさにわたしがその作品について書こうとしている当の作品についての論考が出てきたのだ。

 

思いがけない、というのもわたしの不勉強を露呈する間抜けな話で、もともと、関西に来るきっかけになった本で、この本が引用されていた文脈を考えれば、そのような論考があることは、思い至ってもよかったのだけれど、とにかくその一つの論考に、昨夜は完全にノックアウトされた。しかし、敗けて却ってやる気を起こすのも変なのだけれど、完全に敵わない、追いつくことのできない大きな背中が見えて初めて、自分の小さな一歩を踏み出せるということがある。今朝は、5時半に起きて、書き淀んでいた構想をなんとか書き上げ、まだ粗くはあるけれど、書く方向が少しずつ姿を現してきた。

 

「何が起こるかわからない」というのは、今、W杯がやっていることもあり、ここのところずっと考えていることだけれど、「何が起こるかわからない」から準備のしようがないのではなく、日々どのような準備をするのかで、呼び込むものごとが変わってくるのだと思う。犬も歩けば棒に当たる、ではないけれど、歩かなければ、出会うこともない。どのような心持ち、どのような身体の調子でいるのか。日々の準備が、センサーの感度を決めてゆく。そうして、意図を越えたところで幸運な出会いがあったとき、感謝の気持ちが湧く。清々しいほどに自分の小ささを知り、生きる喜びが湧く。

 

そんな、劇的な出会いだった。

広島遠征。

今日は、広島県廿日市市にある、佐伯総合スポーツ公園というところへ行ってきました。

 

縁があって、今年から、電動車椅子サッカー関西選抜チームのコーチをやっています。昨日は中国選抜との練習試合で、片道5時間をかけて行って参りました(といっても、わたしは、同じくスタッフをしているYさんに頼み込んで便乗させてもらったのですが)。

 

山陽自動車道を、ひたすら、西へ西へと車を走らせ、宮島で高速を降り、県道30号線へ。道沿いの民家の屋根瓦は、どれも赤茶色で、鯱(シャチホコ)のようなものがのっている。「な、なんだこの風景は?」と不思議に思ったので、帰ってから少し調べてみると、そのあたりは盆地で積雪が多く、瓦に水分が染みこんで割れてしまわないように、釉薬が塗ってあるそうです。あの赤茶色は、釉薬の色なんですね。ちなみに、鯱などの棟飾りは、調べた中では、「(あった方が)カッコいいから。」という理由がでてきました(笑)ほんとうのところはわかりませんが、山の中の赤茶色の屋根にポコポコと鯱が飾られている光景はユーモラスです。

 

さて、そんな風景を横目に山中をずんずん進んでいきます。「この先に体育館なんてあるのか...?」とだんだん不安になってきたところで、「佐伯総合スポーツ公園」の案内表示が。昼前に、関西勢で一番に到着。中国選抜のみなさんは、午前中からすでに練習をしていて、選手の一人が迎え入れてくれ、車をどこに停めたらよいかなど、丁寧に説明してくださいました。雨が降ってきたら、乗り降りのときは施設の玄関まで車をつけてもいいとのこと。車椅子での乗り降りを、雨の中でやっていたらビチョビチョになってしまうので、これは助かります。(案の定、試合の終わるころには大雨に見舞われました...)

 

続々と、他の関西メンバーも到着し、13時過ぎから練習試合開始。20分前後半で、合計3試合を行いました。中心選手が欠席だったり、ゲーム開始早々にエースの選手がバウンドしたボールをもろに頭で受け、軽い脳震盪になったりと、コート内もベンチもバタバタしながらの滑り出しとなりました。スコアは、一試合目が0-2、二試合目が2-1、三試合目が0-1という結果。選抜大会本番は、8月の鹿児島。そこへ向けて、課題の多く出た広島遠征でした。このへんのことは、また回を改めて書いてみようと思います。

 

試合終了後は、観光を楽しむ間もなく(スタッフの中には、そのまま一泊し、宮島観光を堪能した人もいるようですが...ウラヤマシイ。)、バシャバシャと雨の降る中、一路大阪へ。Yさんの爆走により、その日のうちには家へたどり着くことができました。

 


お口直しに。

今日はW杯の日本対ギリシア戦が朝7:00からあった。うちにはテレビがないので、Twitterのタイムラインで戦況を追いつつ出勤。スコアレスドロー、という結果を見届けてから教室へ向かう。

 

勤め先の学校では、朝から教室を開放して、パブリックビューイングをしていたらしく、学生が興奮した様子で教室へ入ってくる。青いマフラータオルを首に巻いて、髪には青いメッシュ、手の爪も足の爪もジャパンブルーに染めている。おお、気合入ってるな。

 

彼女らとW杯談義をしているうちに、W杯を開催する国の治安についての話になった。「たしか、南アフリカ大会のときは、どこだかの国のコーチが亡くなっているよね」と、わたしが言うと、「日本でやればいいのにね!」と、青メッシュの彼女が言う。それを聴いて、ウーン、と唸ってしまった。確かに、弾丸は飛んでこないかもしれないけれど、ヘイトスピーチまがいの下劣な発言が、首都の議会で飛び交うような国だ。それに、勝とうが負けようがスクランブル交差点でお祭り騒ぎになってしまうような、見境の無さ。じゅうぶん、コワい国だよ、ここは。

 

都議会関連の報道を読んでいたら、排水溝を眺めているようなヒドイ気分になってしまったので、気分を変えようと、映画を観た。『朝食、昼食、そして夕食』(原題は18 comidas)という、2010年の作品。なにげなく見始めたけれど、お口直しにはうってつけの、良質の映画だった。

 

聖地巡礼の最果ての地として知られるという、スペインのガルシア地方、サンティアゴ・デ・コンポステラを舞台に、タイトル通り、魅力的な食事のうえに複数の人間模様が折り重なって、淡々と描かれる。街の朝は、路上で男の演奏するギターの音から始まり、酔っ払いの二人の男は、カフェで揚げたてのエビをほうばるところだ。出会ったばかりで一夜を共にしたらしい男女は、まだ女がベッドでまどろんでいると、男はキッチンのミキサーでジュースをつくっている。お腹の空いた男は肉屋でチョリソーを盗み、無精髭とボサボサの頭をきれいに剃った男は、清潔なテーブルクロスをかけ、朝食の準備をしている。くたびれた様子の母親は、幼い子どもの、恐竜に食べられた、という夢の話を聴きながら、朝からビール瓶をあけている。老夫婦は黙々と、もう何百回、何千回とそこで食事をしてきたのだろう、という食卓で、朝食を食べている。

 

冒頭だけで、これだけの食事とともに、人物たちが出てくる。これは、映画を観たあとでわかったのだけれど、この映画では膨大な量の即興シーンを撮りためて、それを編集してシーンがつくられているそうだ。そのためなのか、人物がとても自然だ。まるで、自分も透明な存在になって、その空間にいるような気分になってくる。

 

映画の冒頭の、「食卓では、食欲も魂も解放される」というナレーションの通り、映画の中では、食事をしながら、兄弟が衝突し、昔の恋人同士が行き場のない想いを持て余し、初老の男は若い恋人から別れを告げられる。腹が減っては戦はできぬ、ではないけれど、人生の修羅場も、おいしい食事がなければ、とても闘えないものなのかもしれない。

 

映画とは関係ないのだけれど、レイモンド・カーヴァーの"A Small, Good Thing"という小説を思い出した。この作品では、幼い息子を突然亡くした若い夫婦と、その息子の誕生日のためのケーキを注文していたパン屋の主人とのあいだのやりとりが描かれるのだけれど、このパン屋の主人が、息子を亡くして憔悴しきった若い夫婦に、焼き立てのシナモン・ロールをふるまう場面がある。こういうときこそ、何か食べなくちゃいけませんよ、と言って。とても好きな場面だ。「こういうときは、食べることが助けになります。("Eating is a small, good thing in a time like this,")」とパン屋の主人はいうのだけれど、人生を重ねてくると、この言葉が染みる。

 

20代の後半、人生でつらいことが重なったときに、とにかくわたしにものを一生懸命食べさせてくれた人がいた。その人は、「とにかく食べなきゃ!」と言って、食べられそうなものをアレコレと運んでくれた。そのときのわたしは、とても食べられる気分じゃない、とうけつけなかったのだけれど、今思うと、あそこで食べられてなかったら、その後の人生を続けていくエネルギーが湧かなかっただろうなぁと思う。

 

今は、おかげさまで、どんなときでも朝からモリモリと食べられるので、人からも、「健康的な食欲だねぇ」とちょっと呆れられたりもするくらいだ。人生の、酸いも甘いも、辛いもしょっぱいも、健康的な食欲がないと、味わいつくせないもんね。

 

映画の話に戻すと、この映画では、人生の苦みや滋味が淡々と描かれているのだけれど、最後には、ふっと明かりの灯るような、希望を見せて終わる。良い後味の映画だ。おススメです。

 

 

「とりこし苦労症」について。

最近、自分は「とりこし苦労症」だ、と思うことがよくある。

例えば先日、勤務している学校で、クラス替えがあったときのこと。
資格試験の結果によって、上のクラスへ移動する学生と、元のクラスに留まる学生とに分かれる。また、人数調整のために、他のクラスと合流する場合もある。

 

それで、ワタシのクラスへ、他のクラスから留学生のK君がやって来た。移動初日の授業が終わり講師控室へ戻ると、ドアの前にK君が立っている。「誰かに用事ですか?」と尋ねると、「クラスを変更してほしいのですが。」と言う。

 

そこへ、K君の元のクラスのY先生が通りかかり、二人して話を聴くことに。

彼の話をまとめると、彼は日本では就職するつもりはなく、彼の国ではこの授業が対象としている資格試験が就職に有利に働くということはないため、今回の試験は受験しなかった、だけど、一つ上のクラスの試験を受けて結果が良ければ、クラスを移動させてほしい、ということだった。

 

Y先生が、「特別に試験を受ける、ということはできないのだけど、〇〇先生(ワタシ)と相談して、授業内容を考えていくから。」と丁寧に説明してくれ、その場は収まった。

だけど、その日家に帰ってからも、クラス変更をしたい、と言って来た彼のことを考えてしまう。「授業が易しすぎたかな」とか、「でも、他の学生のためには、少しゆっくり進みたいんだけど」とか、ぐるぐると考える。Y先生が、「普段は授業をおとなしく受けていて、こんなことを言ってくるのは初めてなんですが...」と首を傾げていたのも、微妙に気になっていた。

 

悶々としたまま、次の授業日を迎える。朝、学校へ着くと、Y先生も気にしてくれていたみたいで、期末試験の結果次第では、コーディネータの先生に掛け合うこともできる、ということをお話してくれた。

それならば、と授業の前にK君をつかまえて、話をすることにした。「今は、実力とミスマッチな内容かもしれないけど、期末試験で結果を出せば、後期からのクラスは考慮できるよ。だから、それまでは一緒に頑張ろう。」と。それを聴くとK君は、初めて顔をほころばせて、頷いていた。

その日の授業で、K君は、積極的に発言をしたり、ワタシが話すことにも、いちいちに、ウンウンとリアクションをしていた。さらには、話してみると最寄り駅が同じ、近所に住んでいることがわかり、「(会ったら)挨拶します」とも言ってきた。Y先生も言っていたけれど、本当にクラスを変わりたい、というよりは、よく様子も分からないなかで、クラス移動があり、困惑していたんじゃないか、と。講師控室のドアの前に立っていた彼は、白い顔を引き攣らせていた。もしかしたら、不安をただぶつけたかったのかもしれない。

一人で、ネガティブな方向への想像力を全開にして、思い詰めていたけれど、蓋を開けてみれば、見当違いな方向で思い詰めていたな、と頭をポリポリ掻いてしまう。もちろん、常に授業の内容への反省はあるべきだろうけど、肝心の本人の状況を置き去りにしていては、独りよがりでしかない。

仕事に限らず、人間関係やその他の日常の些細な場面でも、勝手に思い詰めすぎることがある。そしてたいてい、動いてみたら、見当違い、ということが多い。今まで人から、「ときどき、驚くほど卑屈になるよね」とか、「(意外に)すごい慎重派だよね」などと言われてきて、そのたびに、「そうかな。」と、あんまりピンときていなかったのだけれど、今は、「そうだな。」と、思い当たる節がありすぎる。
 

想像力全開、はいいけど、自分勝手にネガティブ方向へふりきれて、まわりの人を置き去りにするのは、やめたい。